とても心にしみるブログ内容でしたので、是非読んで頂きたいと思い、記述しました。
本当にその通り!!だなっと何度読んでも感じます(@_@)

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老子の言葉 第二十二章

(独自の超訳)

遠回りで曲がった人生だからこそ、逆に成長して悟る(完“全”に成る)ことが可能に成るのです。
人生の苦労には一切のムダがありません。
人生が曲がる体験をするからこそ、逆に真っ直ぐに直す人生体験をすることが可能に成るのです
人生で落ち込めば、そのヘコんだクボミが大きいほど、逆に大切なモノ(愛情など)で満たすことが可能に成ります。
物事が破れれば、また新たな挑戦をすることが可能に成ります。もし破れなければ、出来ないのです。
財産や持ち物が少ない人は、もっと大切な物事に気付けて成長が可能に成ります。
持つモノが多い人ほど、迷い悩むことも増えます。多くを持つ人は、それに執着しないことが大切です。

だからこそ聖人は、その生き方(道)を人々に見せて、世の中の模範と成ることが可能に成ります。
聖人は自分から説明や誇示をしないからこそ、逆に自然と世の中に知れ渡ります。
聖人は自分のことをほめないからこそ、逆に世間から認められます。
聖人は自分の功績を言いませんから、逆に世間から功績を認められます。
聖人は自ら自慢をしませんから、世間から長く賞賛されます。
聖人は誰とも争いませんから、世間から叩かれることもありません。
他人からイジメられる人は、自分の中に他人をイジメる気持ちが無いかを見ましょう。

以上のことから、曲がりくねった木のような苦労の多い人生を歩む者は、その人生を完成させることが出来ると昔の人が言ったことは、ウソではなくて真実なのです。
その人から生まれた誠意が、そうさせるのです。

原文
「曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新。少則得、多則惑。
是以聖人抱一、爲天下式。不自見故明、不自是故彰。不自伐故有功、不自矜故長。夫唯不爭、故天下莫能與之爭。
古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而歸之。」

(感想)
まさに老子の巨視、巨大な視線が炸裂しています。
会社が倒産したと泣いている元社長を老子が見れば、
「普通の平凡な会社員には体験出来ない貴重な体験ではないか。
その御蔭で、またゼロから立ち上がる青春を味わおうではないか。」
と言いそうなのが目に浮かびます。

以上の話には、納得出来ない心境の御方は多いでしょう。
しかし、これの答えは、「人生は有限」であるということに尽きるのです
何もせずに、眠ったままで人生を終えるのも、人生です。
色んな様々な苦労、失敗、失恋、・・・・経験をしてアノ世に帰るのも人生です。
どんな人生の物事も、それを不幸だと思わずに「経験」だと自分が受け入れることが出来れば、変な執着が脱落するのが分かります

ただし、ただ何でも経験するのではなく、そこには自分の「誠意」(良心)が存在することが大切なのです。
愚かな経験を、自分で肯定しては生けません。
自分の誠意をもって経験して行けば、どんな曲がりくねった人生でも、それは盆栽の銘木のような輝きを放つと老子は言っています。

過去に自分の誠意の無い嫌な経験が有ったとしても、今から誠意をもって歩いて行けば大丈夫に成ります。
盆栽では、死んだ枯れた枝でも、その全体が完成した時には重要なチャームポイントに変わっています。
これは、人間の人生でも同じなのです。
「今から」誠意をもって生きて行けば、過去の失敗も大切な意味を持つのです。
誠意をもって、頑張って時間限定の人生を生きましょう。