高校の時に遊びに来て以来、約20年ぶりに鹿児島にやってきた。
親戚の叔父さんに連れられて父親の葬式場へと向かった。
完全アウェーを覚悟していたので、隅の方に座った。
すると、やはり何やらオレの方を見てヒソヒソ話している(ように見えた)人々もいた。
やはり来るべきではなかったのだろうか…そんなことが頭によぎったが、まあ我慢しよう。
しばらくすると、数人の女性が私の前にやってきた。
「ごろう君(オレの名前・仮称)ね??」鹿児島独特のイントネーションだった。
見上げると、オレの顔にそっくりな女性が並んでいた(笑)。間違いなく近い血縁の人々なのだろう。
のちに知ることになるのだが、父親の弟の娘さんたちだったのだ。
「はぁ・・・」オレはそう答えるのがやっとだった。
「久しぶりだねぇ」とかなんとか言われたが、残念ながらオレには記憶がない。
ただ、完全アウェーとは少し違うのかな、とホッとした。
ほどなくして式が始まったのだが、この式が驚かされたものだった。
まるで結婚式のようにスライドが流され、父親の息子さんが思い出を語っていた。
父親の息子さんだから、オレの弟にあたる成年なのだろう。国公立大学の医学部に通う大学生であった。
スライドでは、父親と少年が笑顔で遊んでいる様子が流されていた。
「大好きだったお父さん・・・」といったセリフが印象的だった。
父親に対して特別な感情は持っていなかったのだが、さすがに母子家庭で育ったオレには少し酷な時間だった。
葬式の終盤、「故人に花を…」みたいな時間となると、親戚の叔父さんが「ごろう、花をあげてこい」
これも鹿児島独特のイントネーションだったのを覚えている。
「はい」と言って立ち上がった瞬間だった。
止められない何とも言えない感情が込み上げてきたのだろう。
オレはなにか耐え切れずに式場の外に走り、号泣してしまった。
人生で後にも先にも、こんなに号泣したことはない。
きっと、様々な感情を抑えながら生きてきたんだろうなと、今になってから思う。
それからしばらくのことは、まったく記憶にない。
オレが落ち着いたころには式はほぼ終わっていた。
父親の後妻さんがオレの近くにやってきて「よかったら火葬場までいらっしゃってください」
と声をかけてくれたが、オレは「いえ、もう満足です。」と答えた。号泣するというのは気持ちいいもので
本当に満足していたのだ。自分の抑えつけられてきた感情があったことにも気づき、なんだか清々しい気持ちだった。
その後、せっかくだからと思い、桜島を一周して鹿児島をあとにしたのだった。