長崎に住んでるので
特に戦争については75年経ってはいても
なんだか身近な感じがします。
たしか去年も書いた気がするけれど
私が生まれた1980年。
その頃には、戦争からたった、
35年しかたってないんですよね。
終戦から35年。
↓
私生まれる
↓
そしてそこから40年。
↓
の。今。
そう思うと、
テレビで放送されていることも
すごく昔じゃない気がします。
昨日、録画してた
広島の被爆ピアノの番組を見ました。
忠実にドラマ化されていて
そのあと、被爆ピアノを復興させる様子、
そして、そのピアノを使ってのコンサートまで
放送されてました。
爆風でガラスが突き刺さった被爆ピアノ。
ピアノが大好きだった持ち主の女学生の方は
広島の原爆投下の翌日に亡くなったそうです。
そこからピアノの蓋があけられることなく、
廃棄寸前だったこのピアノ。
なんとかまた音色を響かせたいと
動いてくださった関係者の方々
そのおかけで、このピアノはまた人を感動させるピアノへとなりました。
そのピアノのダンパーのフェルトは、たくさん溝がついていて
持ち主の方がたくさん弾かれた跡があり、
調律師の方は、
部品を新しく変えることもできたが
なるべくそのままの音色を。
と、時間をかけて調律されたそうです。
演奏されたその音色は
新品のピアノとはまた違い
でも、
当たり前だけど。
ちゃんと普通にピアノの音なんです。
なんだかその当たり前が
すごく心痛くなりました。
当たり前に戦争の前の時代も
戦争の時代も
ピアノを習う人がいて
ピアノを教える人がいる
ピアノの音色から心癒される時代がありました。
爆風で焼け野原になった広島と長崎。
大切な人や大切なものを失い
生きていくことに必死で
音楽なんて
ピアノなんて
絶対、二の次三の次だった時代。
でもそこから復興し
人の心も復興し
きっと誰かが、「 またやってみよう! 」と
はじめてくれたんだろうけれど、
そのおかげで
今その長崎で音楽は当たり前にあり
ピアノを当たり前に弾ける
忘れていた当たり前の感謝を
思い出させてくれた番組でした。
今のコロナ禍は戦争も、大震災も経験したことのない私からすれば
本当に大きな災害であり試練です。
でもありがたいことに
私の目の前は焼け野原ではありません。
例年のような
生徒との距離が近い私が大好きな形での
ピアノのレッスンではないけれど
でも。
焼け野原ではありません。
だから。
感謝して。
新しい形でのレッスン一つ一つを
楽しんでいこうと思います。