みんな戦争モノ好きですよね
苦しんで得た平和
でと当時苦しんだ人々はもう
少なくなってます
ここで私の祖父の話
祖父はバリバリの
愛国心を持った人でした
子供4人授かり
3人は娘でした
一人息子の名前は
ヨシオ
義生と書いて
ヨシオ
のちにここではない場所に書きますが
母が生体肝移植をする話になった時
1番先に手を挙げてくれたのは
この叔父でした
血液型が同じで独り身であったのと
姉弟の関係が良好だったから
まぁこの話は
親戚の猛反対をうけ
私も手を挙げたのですが
これも猛反対
これは父親に泣いて止められ
移植自体諦めたのですが…
その時に叔父の名前
義生にウシヘンをつけると
犠牲になる事を知りました
祖父は言葉や漢字を
勉強して非常に詳しい人でしたので
敢えてこの漢字にしたのではないかと
私は思っています
祖父は戦時中
中尉という立場で
部下達が次々に戦場へ突撃し
命を落として行くのを見て
自分こそ部下より先に
国のために命を捧げると
抗議したと言っていた
悔しかったと
自分より若い部下達が
どんどん命を落としていくのが
辛かったと
そんな祖父は
帰国後に敗戦にショックを受けて
赤ん坊の叔父を抱いて
突然姿をくらまし
切腹しようとしたそうな
息子共々自害するつもりだったらしい
そんな祖父なので
ウシヘンがつけば犠牲になる
義生と言う名前をつけても
おかしくないなと思うのです
赤ん坊だった叔父は号泣して
祖父はハッと我に帰り
その後は仙人のような人になりました
あの頃は
誰かのために命を捧げることが
美しいとされていた
いや
そう思わされていた
捧げたいなら捧げれば良い
でもそれが美しいかどうかは
全く別問題だと思う
叔父は結果
母の亡くなった翌年に亡くなった
肝臓を分け合う事なく
犠牲になる事なく
義生
人道にしたがって生きる
犠牲
他者のために命を捧げる
どちらもなんだか
重苦しい
叔父は自由に生きた
楽器を愛し
気ままに旅をし
1人亡くなった
実は祖父が1番
息子を自由にしたかったのかもしれない
今ふとそんな事を思った
あの戦争がなければ
どれだけの若者達が
自分の夢を叶えられたろう
自由の翼で
好きな場所は飛んでいけたろう