地元では代々そこに住みついてたので

どこへ行っても大人たちに

 

誰々の孫

誰誰の娘

誰々の妹

 

と言われた

 

嫌だった

父も兄も賢かったし

母は明るくて誰からも好かれた

陰気で学校でもパッとしない私は

家族の中で浮いていると自覚していた

 

 

そんな私は

家族の一員として認められたい癖に

誰かの誰か

になるのに疲れ果て

その呪縛から逃げるかのように

早くに結婚した

 

それは結局

新しい

誰かの誰か

になる事だったが

最初は満足だった

という新しい役割を

存分に味わった

 

10年20年と月日は流れ

ふと気がついたら

ものすごく窮屈になっていた

 

何も変わっていない

 

やっと気がついた

そしてこうも思った

 

誰かの誰かじゃなくても

ワタシは存在している

 

 

ちゃんと存在してるって

1人でもちゃんと

認識されてるってわかった

 

1人じゃ何もできないって

思って生きて来た

 

だから友達に何でもお任せして

頼りきって

甘えて依存して

家族に甘えきって

 

自分を曖昧にしていたのは

自分だったりするんだ

 

誰かの誰かになりきっている人は

とても多いと思う

そして

そこから出たのに

また同じことを繰り返す

そんなワタシみたいな人

実はとても多いはず

 

誰かの誰かは仮の姿

本当の自分に

いつでも戻れるように

自分の感性を磨いておきたいと思う

 

ワタシはカウンセラーでも

宗教家でもない

ただの主婦

 

いやと言うほど苦しんで

生きて来た

ただの主婦

 

だからただ書くだけ

経験したことを

書くだけ

 

楽しいことも

苦しいことも

ただの味だと

笑えるように