「子育てシェアハウス」を
受け入れられないやつは
自分を信じていないやつ。
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↓
「子育てシェアハウス」に届いた思わぬ反論 これが日本の「しんどさ」か…妊娠中のメンバーと一緒に考えたをFacebookでシェアしたら
反響がすごかったです。
※ちなみに批判コメントとやらは
一切目を通してません。
わざわざ気持ち悪い情報はとらないっす。
でも、
「知らない人に子供を預けるなんて!」
「何かあったらどう責任とるんだ!」
「自分の子供は自分で育てるべきだ!」
など考えられうる批判は、
全て【自分の本性】を表してます。
翻訳しましょうか。
「知らない人に子供を預けるなんて!」
→私は知らない人の
子供の面倒なんて見たくありません。
それだけの包容力も人間力もありません。
他人のことも信用してませんし、
つまりそれは自分のことを
信用するに足る人間だと思ってないからですが、
そんなこと認めたくないので
とりあえず八つ当たりしときます!
「何かあったらどう責任とるんだ!」
→私は子供の人生は
両親が責任をとるべきと思ってます。
子供の人生は両親が支配するものです。
安心安全全て管理してあげることが
大人の役割でしょう。
子供に自由なんてありません。
私はそう育てられてきました。
そんな私の人生の責任は
誰がとってくれるのかわからないのですが、
とりあえず八つ当たりしときます!
「自分の子供は自分で育てるべきだ!」
→私は自分の子供を育ててます。
そうするべきだと思います。
でも本当は辛いし大変だし
人に頼りたいけど、
そう出来ないので
シェアハウスなんて
甘ったれてるように思える人に
八つ当たりします!ズルいです!
私がこんなに勝手に
一人芝居して苦しんでるのに!
てところですかね。
※具体的な批判コメントを見て
書いたわけではなく、
予測される心理と成長過程の分析です。
つまりは、
友達がいない人。
信頼できる人がいない人。
だれも信じられない人。
つまり、
自分のことを信じてない人が
批判的コメントしているだけ。
安心してください。
あなたとは住みません。
「こっちだってあなたとは住まない!」
ですって?
はい、あざーす
他人を信じることができる。
自分が人に頼れるから
他人から頼られても力になれる。
自分が弱音を吐けるから
他人の弱さも受け入れられる。
今じゅんせーはたくさんの
家族に囲まれて
適当に育ってます。
誰が遊んでくれる人なのか、
誰が甘かやしてくれる人なのか、
誰がチョコを買ってくれる人なのか、
その時に合わせて
一緒にいたい人と楽しんでる。
オンラインサロンのオフ会や
サロンメンバー内でのお泊まり会も
多々増えてきたのですが、
ちゃんと頼ったり、甘えたり、
大人が楽しく遊んでると
子供たちも勝手に遊んでたり、と
どの子供がどの女性の子どもなのか?は
一見わからないくらいに
ごちゃ混ぜ適当に遊んでます。
それでいいと思います。
1人で無理して誰にも、施設にも頼らず
頑張って子育ていたって、
それがもし自分にとって
大変で辛いことならば
子どもが受ける印象は、
『ママは私のせいで苦しんでるんだ。』
が関の山。
1人で子育てすることそのものに
幸せを感じられまくる人ならば
その限りでは無いけど、
その割合は100人に1人もいないと思います。
そうやって頑張って子育てしたところで
頭の固いじじいばばあ世代は
「子どもは両親が育てて当たり前じゃろ」と
あなたを認めてくれるわけではない。
※自分は兄弟姉妹親戚近所の人らが
たくさん周りにいて助けてもらってたことも
忘れてます。ボケてんねん。
たくさんの人に頼って、遊んで、
そうして両親が楽しんでいたら、
子どもが受ける印象は、
『ママはなんか楽しそうー私も楽しいー』
という楽しさの掛け算。
たくさんの人が
自分のことを愛してくれてるという確信。
たくさんの人が
自分の友達なんだという確信。
どんな世界に生きるか?は
自分で選んだらいいけれど、
こういう「子育てシェアハウス」記事を読むと
頭ガチガチの人間と、
緩く楽しんでいこうという人間とは
もう間も無く
世界がすっかり別れると思います。
正しさを選んで
苦しみたい人はそうしたらいい。
楽しさを選んで
楽しみたい人はそうしたらいい。
ただ、
お互い違う価値観で生きてるだけ。
違う価値観を持ってる人を
批判する必要は無い。
人には苦しむ自由もあるのだから。
苦しんでる人は
楽しんでる人に
時に八つ当たりしますが、
楽しんでるみなさんは
そんな声はほっといて、
楽しんでいきましょう。