昨夜熱で熱いながら
追記して記事にまとめる忘備録を書いたら
コメントたくさんありがとうございます。
コメント踏まえて後ほど記事にします。

本当に、
これは早めにお伝えしとかないと。


【感情の俯瞰は不感症への第一歩】

悲しい!寂しい!ムカつく!や
嬉しい!楽しい!気持ちいい!を
→表現→体感→解放 
→自然とニュートラルな視点に立てる

がうちの基本。
というか感情についてはそれだけ。

悲しんでる自分を体験している
神の視点※魂や観測者の視点と言ってもいい 
を持つことを推奨する人もいるようですが、

微妙なニュアンスの捉え方が掴めなかったり、
体感することを飛ばして
いきなり感情を客観視しようとしてる人は
とても気をつけてください。

解離性障害につながる恐れがあるためです。

批判されてムカついた!なら、
とりあえず吠えてみて、味わって、
深呼吸して落ち着いてから
批判コメントについて客観視すれば良し。
どうでも良くなってたらスルーすれば良し。


批判されてムカついた!
→そんな自分を客観視

これは
ちゃんと怒りを体感しつつも
その視点が持てる人ならば良いです。

しかしながら
怒っている自分と眺めている自分を
切り離すような意識で行うと、
怒れる自分やネガティヴな自分と
それを観測してる自分と、
まるで多重人格のようになってきます。

過度の精神的なストレスや
虐待を受けているような場合にも
感情と自分との切り離しを行うことも
あるのです。

魂の視点に立つワークをしているうちに
感情を感じない不感症ワンネス視点になって
能面のような表情になりかねません。

普段から感情を抑えて
生きてきたという人の場合、
感情を俯瞰する前に
まずは表現して体感すること。

そこを抜きに俯瞰するのは、
それこそ不感症への第一歩ですよ。

自分の状態を受け入れ続けた結果として
感情を感じてる自分を眺める
別の視点に気がつくことと、
感情を意識から切り離して
不感症になっていくこととは
全く別の次元の話です。



怒りをはじめとする
ネガティヴな感情って、
自分の大切なものを守る時や
はじめの一歩を踏み出すエネルギーにもなる
大切なもの。

波動が低いとか愛から外れるとか、
そんなジャッジはさっさとやめて、
そのまま受け入れましょう。



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子どもを見ようよ。

赤ちゃんを見ようよ。

楽しんでる自分を客観視?

泣いてる自分を客観視?

してないっしょ?

めいっぱい生きてるだけだよ。

※俯瞰しようとしてたら不感症になったというエピソードをお持ちの方、コメントかメッセージくださいませ。オッケーならば匿名で参考に致します。