論より証拠
楢﨑皐月はカタカムナ文献を現代の言葉に訳す為に『古事記』『日本書記』を参考にして、解読にあたったのですが、元々が天才物理学者なので、時空量子力学とも言われる解読には、日本語の読み方以外は時間はかかっても専門分野でこなせた部分は大きかったそうです。
それにしても相似象学会誌には、何度となく古事記の考察が長文で出てきます。
古事記は、日本の建国の物語や美しい生き方を後世に伝えることを目的としています。
一方、 日本書紀は、より詳細な歴史記録を残すことを目的としており、歴代天皇の事績を丁寧に記録しています。
楢﨑は、古事記も日本書紀も物理的見地であらゆる角度から検証しています。
しかし、この古事記には、その皇族のことも神話として登場してきます。
神話は、フェイクではなくてもファンタジーの世界観で描かれています。
私はカタカムナ文献相似象を二十数年間読み続け、そのファンタジーはいいとしても、実在の世界観との違和感を、ずっと不思議に思っておりました。
で、理論的には楢﨑の解説や解読に問題はないはずですが、実際のマガタマと、八咫鏡・ヤタノカガミの実物をみるとその違和感なり、問題と思っていた部分が、浮き彫りになり、『やっぱり違う!』と思った瞬間に『これなら納得』と言う、解読法が何も考えてなくても分かりました。
直観力と閃きは、これをみるだけで確認!
天皇家の歴史のことは、天皇家にまつわる事象で説明でできるはずです。
上行院陛下のお話はストレートに理解でき、実物との整合性が瞬時に理解できます。
本物は見ないと、理解でいないですが、見れば幸せになるのは実体験です。
まさに、百聞は一見にしかず、論より証拠も実体験あってこそ。
あの時の直観力の一時的な覚醒のせいか、不思議な体験ばかり。