意を決して家を出て
初めてAPに入ったときに息子は言った。
「ああ・・これでパパの怒鳴り声を聞かなくていいんだね!」

胸が痛んだ。2LDKのAP 
子供もたちは二段ベットで奥の部屋
私はその隣の部屋でタンスの間に寝ていた。
調停をかけ始めて、いろいろ始まりつつあった。

仕事はもともといた非常勤の生命保険会社
面接士から営業に移った。
営業なんて出来るかしらと思ったけど
元の非常勤の収入じゃ子供を養えない・・
大手保険会社の営業。
元々いた会社だし.皆さんからの勧めもあり
おまけに高給で入れてくれた。ありがたい。
もともと金融機関にいたし
Uターン後はその子会社で
損保の会社で資格も取っていたので
営業をするのが一番いいのでは?
とすすめられた。

何しろ熱を出す息子がいる。
子供のことで時間をとられるのだから
休めたりあいてる時間を使えるほうがいい。
しばらく頑張っていた。

半年ほど勤務していると
そこで提携している会社の男性社員に
スカウトされた。
大手の損保の会社で代理店として
営業で独立する人だった。
全国でもTOPレベルの営業力の人。
その人は知っていたけど 
独立するなんて知らなかった。

是非、私に事務員に来てほしいと言う。
損保経験ありで、
一番上のクラスの資格を持っていること。
生命保険の資格も持っていること。
金融機関にいたこと。
総務、経理の経験があることなど。

彼にとっては必要条件が
はまる私だったのだろう。

さて会社に入り、仕事をこなす日々
その社長である彼は 
北海道の地方都市の大地主の息子。
学歴もおーーというようなすごさ
エリートを絵でかいたような人だった。

働き始めると 
何くれとなくアウトドアなどに誘う。
子供たちにいいんじゃないかと誘ってくれて
彼自身の子供たちも一緒に
魚釣りだとか、キャンプに
誘ってくれるようになった。

夫はパチンコばかりで家にいなかったし
キャンプ自体は夫の友人に誘われて
するようにはなっていたが
本当は好きなわけではない。
いちいち文句を言ったり、 
気を遣う私は、夫とキャンプに行くたびに
疲れ切って帰っていたものだ。

しかし社長である彼はアウトドアの達人で
ありとあらゆることを教えてくれた。
子供たちも喜んで、自然の中で喜んで遊んでいた。

私の調停はどんどん進み
調停員が「いろいろお話聞いていますけど
・・ご主人とは本当に性格が逢いませんね」
と言ってくださる。
基本調停員はどちらかの味方はしないもの
でも、明らかに皆さん私には好意的でくださった。

発達障害の息子のことを何一つ見ないことや
「ほっとけば治る」とか、数々の罵倒発言を
重く受け止めてくれた。
子供を一番に考えなければいけない。
親としての責任を持たない夫に
調停員も怒っていさめてくれたこともあった。
そのうえでの性格が逢いませんね発言だった。

調停最後の日、駅からタクシーに乗った。
地下鉄から歩くと、夫に逢う可能性もあるので
嫌でいつもそうしていた。

その日、タクシーの運転手さんは
裁判所に向かうことを告げた私に 
スーツ姿だったからか
「弁護士さんですか?」と聞く。
いえいえと否定し、
「実は調停かけていて今日が最終日なんです。」
と伝えると、運転手さんは
「そうなんですね・・大丈夫あなたは勝つし、
そしてまた結婚できますよ」
と励ましてくれた。
へんな励ましだなと思ったけれど
そのことがなんだかうれしかった。

そして調停
最後、裁判官が来て 前回調査官が調査して
資産、収入から夫が子供に支払える養育費を
査定し提示してきた。
しかし主人は嫌がり、ごねてごねて
うるさかった。調停員も裁判官も
うんざりしていたのが見て取れた。
減額を提示してきた・・・ 
裁判にしてもよかったが、暇じゃないし
もういいや。すっきりしたい!
Okをだして印鑑を押して成立。

最後に決裁を言われ
すっきりと終らせた。
いろいろ腹立たしいことの多い調停だったが
なんだか気持ちがよかった。

その日 裁判の終了するころ外で出たら
車が目に入った。
社長の車だ
会社は近かったのだけど
迎えに来てくれていた。

その時に、瞬間態度は優しくはないけど
この人は優しいのだな・・と感じ取った。

調停は孤独だ。
半年かかったのだが
いつも離婚経験ある友人が
迎えに来てくれて愚痴を聞いてくれたり
慰め、支えてくれた。
調停の間は相手をののしることになるので
気も重い・・・嫌なことも思い出して調停員に
訴える作業は、胸がえぐられそうになる。
再度、相手方の話を持ってこられ
夫がこういってますと調停員に告げられるたびに
怒りがわいてきて、腹が立つやら悲しいやら
情けなくて涙ぐむこともしばしばだった。

いつぞやは、土曜日の朝にチャイムが鳴るので
玄関先にいくと、宅急便の配達員を装った夫が
のぞき窓にみえた。
アーあ・・と思い扉を開けると
警察官のように家の中になだれ込み
APの中をすべて点検していったことがある
男性がいるのではないのかと疑ったようだ・・。
APの中、トイレも風呂も押し入れ、ロッカーも
覗いて行った。

なにか用紙を持っていた。
男性がいたら養育費を請求しませんと
書いた紙に署名捺印させたかったのだろう。

そういうことにも呆れ、
これだけのことをしておきながら
自分は間違っていないと言い張り
私に男ができたからだと
何の証拠もなくいう夫にも 
芯から嫌いで、芯から嫌な奴としか思えなかった・・。

そして最後に、11月末に離婚成立なのに
扶養を外されるとかなりな税金を取られるから
1月に離婚届を出させてくれと言う。
こちらの要求は無視、自分の要求のみ。
呆れて疲れた。めんどくさすぎて
その条件も仕方なく飲んであげた。
裁判してもよいが、もういい!再出発したい。
翌年2000年1月4日 
私たちの11回目の結婚記念日が
離婚記念日になった。

人生は面白い