子供が大きくなるにつれて
夫はますます家に帰らない。

毎日仕事場→パチンコ店→寝に帰る 
→仕事に行く。

という日々・・。何か言おうものなら

「うるさい!お前に言われたくない!」
お金もたびたび持っていこうとするので断ると
消費者金融に走る。

返したり借りたりしているよう・・・うんざり・・・ 

あるとき、飲み会に行った夫は 
カキであたり
A型肝炎になる・・ 
最初は医者の誤診で扁桃腺炎といわれていた。
私は職業柄、絶対肝炎だと確信があり
夫に伝えたり
医者にも血液検査をしてくれと頼んだが
無視された・・

その時の夫の言葉
「俺は医者に診てもらってるんだ!お前に
診てもらってるんじゃない!お前は医者か!!」と怒鳴る。

もうほっとこうと思った 
そのうち黄疸が出たら医者もわかるだろう。

その翌日夫がいつものように 
点滴のために病院に行き
医師に 「入院の準備してください」と
いわれたと帰ってきた。

見ると黄疸が出始めていた。。 
驚きもしなかった・・

そのうち病院から電話が来て、
入院先が見つかったのですぐに行けと言う。

総合病院の入り口で車いすで看護師が待っていた。肝臓の数値は8000になっていた。。
劇症肝炎になってもおかしくないと 
その日から集中治療に入った。

そんなとき 三回目の借金発覚。
入院していて返しにいけない・・
私に頼むしかないから
カミングアウト 
100万ほどの借金。

また財形を崩して 支払う・・・サラ金はほっとくとどれだけになるのか
というシュミレーションを見せて 
こんこんと伝えた。

しばらくは安泰だった。
今度したら離婚と伝えた。。

しかしまたその二年後
職場の上司と合わないらしく
私に矛先を向けてくるようになり 
当り散らすようになった。

朝から晩まで家にいるときは怒鳴り 
子供がいようといまいと
怒鳴りまくる。

そして ドアが壊れそうになるほど 
しめて出ていく「面白くない!!」

そして借金を作るのだ・・・ 
うんざりだった・・。

下の子は三歳になっても言葉が出ず 
調べてもらったら
発達障害といわれ、言葉の教室や塾に入れ
私が働いているので塾代はそれで賄っていた。

公務員、給料は安定していたが限界はある。
コツコツ貯金をして財形をしているのも
馬鹿らしくなる。

周りは家を建て替えたり、老後の資金をためたり
子供の学費のために頑張っているものなのに。
夫は最低月十数万もらえる残業手当を
自分のお金として使い、
足りなければサラ金にいくという
また、翌月返すという自転車操業。 
そういう人格がもう嫌だった。

息子のことでも心が痛むのに
何一つ助けてくれない 
それどころか、私が勉強を教えてるそばで 
ソファーで寝転んでいる夫は
「馬鹿だからできないんだ お前は!!」と
息子を罵り始める。

「やめて!!そんなこと言うのは!」と
なんとしても息子の自尊心を守りたかったから
けんかになる。

言いたくはない、
言わなければけんかにならないわかっているが
子供の自尊心を二次障害という事で
壊したくない。結果夫とやりあうことになる。

子供は夫が声を荒げると 
耳をふさいで二階に走り逃げる。

なんでそんな思いを子供にさせるの?!
二階で子供を寝かせた後 
何度泣いただろう・・。
いつも熱を出す息子の看病をしながら
熱が上がり始めると震えながら
ガクガク震える息子を抱きながら
涙に暮れた。
心中する親の気持ちがわかり
ふと、脳裏を過ぎる。
気持ちは限界だった。

なぜ?どうして?
毎日苦しかった・・。

そんな日が続き、夫が借金260万あると
サラ金の残高通知書を見せてきた。
もう嫌だと思った。
こんな人間といられないと
芯から思った。

その、残高通知書を見せたのは
これだけ借金があるから、
返すためにパチンコ屋にいくので
家には寝にしか帰らない
自分に用事は言いつけるなよ
という意思表示だった。

ある日、家事をしてるわたしに
声をかけて来た夫は
こう言った。
「お前のガンを俺に振るな」
はい?意味がわからず、顔を見た。

要は私がガンを患ったから
俺にガンで大変とか、
ガンだから、頼ったりするな
と、いう意味だとわかった。

全く頼れない状態だし、頼ってもいないし
助けてなど言ったこともない。
たぶん、パチンコに専念したい
家庭のめんどくさい事を持ち込むなと
言いたいのだろう。

夫婦の意味なんて無いじゃないか。
自分が肝炎になったとき
どれだけ私に頼ったわけ?
と言いたかったが、のみこんだ。

ある、朝から怒鳴りまくっていた日
職場に行くのが嫌で
当り散らしていたのだろう
その日は特にすごかった 
なにを怒鳴っていたのか
もうスルーしていたので覚えていないが

近くのバス停まで送っていくのだが 
ずっと大きな声で
「俺は結婚なんてもうやめたい」

「お前らなんていらない」

「離婚する」

「お前は馬鹿だ」

「ガンになったお前なんていらない」

悪態のすべてを叫んでいた。

車の中でただ聞いていた。
いや 正確には聞き流していた。
バス停に着くと 
車のドアを思いっきり壊れるかと思うほど
閉めて 

去っていく夫を見ながら凍っていた・・。 

なにも心は動かなかった。
Uターンして帰ろうと走っていたら
昇ってきた朝日がものすごく綺麗だった。
真っ白な雪道が 
ダイヤモンドのように光り
その朝日を見ていたら 
涙がとめどもなく流れた。

なにかが変わる瞬間だった・・。

涙をぬぐって家につくと 
学校に行く時間なのに子供たちが待っていた。

私が心配だったらしい・・。

着くなり娘が 「ママー」と
泣きついてきた・・。

「パパと別れていいよ もう別れようよ」 
二年生の娘がそう思うなんて・・。

離婚の言葉を知っていたことに驚いた。

息子は何も言わずに学校へ行ってしまった。
私の中で何かが落ちた・・・

「別れよう」

バツ2になるけど 
でも子供たちに傷がつく
今だって母子家庭みたいなもの・・ 
なんとか食べていけるよ

大丈夫・・自分に言い聞かせて
母に電話をする  
母は夫のことを知っているので 
仕方ないねといった

母は家を処分して兄と二世帯だったので
二世帯で暮らしたことを後悔していた。
貴女が帰ってくる家を残してあげればよかった・・ と母は泣いていた。

その日 一年生だった息子が帰ってきて言った
 
「ママ 僕ね、学校で勉強しながら考えた・・
パパと離婚しようよ。それがいいよ」

私はまた息子を抱きしめて泣いた 
子供だって辛いんだ・・・。

子供たちのためにも別れよう!
腹は決まった。

それから準備をしようと 
いろいろ調べた。
春になり職場を転勤した夫は
嫌な上司がいなくなり
多少穏やかになっていた。

ある日私に言う・・
「職場で部下の離婚の話を相談されているんだけどさ」

私は言う「人の離婚話の話じゃないでしょ。
うちはどうするの?」

「えっ!」と夫 
「俺は別れるつもりないけど」という。

何を言ってるんだと思った。 
もう終わりなんだよ・・心の中で思った。

それからは夫は早く家に帰り 
パチンコ通いもやめていた
おとなしくするので離婚はしないでほしいと 
訴えてきていた。

何度いっても同じことを繰り返すだろうし

やめられるわけもない 
そして機嫌が悪くなれば
いつでも怒鳴り、あたるのだとわかってる。

夫はADHDだろうし 
ジャイアンタイプの人間だと 
わかったのだし・・。
もう私の心は壊れていて
取り戻すことも出来なかった。

モラハラは治らないことも理解した・・。

ある日、非常勤の仕事に出ようとしていた私が
支度をしていると、
「お母さん、送ってあげようか?
駅でご飯でもしようよ」
と誘ってくる 
もう近くにいるのも嫌なのに
何言ってるんだと思い
いや時間ないからと断り 
早めに出た。

バスを待っていると 
うちの車が出ていくのが見えた。

私はコンビニでガムを買っていたので 
バス停にいなかったから、
もうでたのだと踏んだのだろう。

慌てて タクシーを捕まえて車を追いかける。

やはり 行き先はパチンコ店だった。
絶対もう行かないは嘘だった!!
どんなことがあっても
もう絶対に信じるものか!!!

私の心は 固まった。
車とパチンコ店が入るように
証拠写真を撮って
そのままタクシーで駅に向かい 
仕事に行った。

その夜遅くに帰ったらしい夫は 
朝も早く出ていったので
顔を合わさなかった。
そのまま仕事に行くのだろうし好都合だった。
私はその日 
あたりを付けていたアパートの契約に行き
出る準備をした。

翌日も帰らないだろう 
夜のうちにある程度の荷物を持って
車も中古の車を買って 
通帳も印鑑も持ち 
財形を全部解約し
家を出た。

子供たちの夏休みの数日前だった・・。