自然の草木に囲まれて坐禅をしていると、
色々な事に気付かされます。
それは人生を生きるヒントのようなもの。
特に最近は何もしてなくても
公園を歩いてるだけで勝手に情報が流れ込んでくる感覚です
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一人の人間が大樹のように伸び、
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一人の人間が大樹のように伸び、
そこから実や葉をシェアすることや地面に広がる枝葉の影ですら調和が進み、
まず足元の世界が成立して循環する。
そんで、足元の世界はその場だけではなく、
連動しまくって広い世界と繋がっている。
まず足元の世界が成立して循環する。
そんで、足元の世界はその場だけではなく、
連動しまくって広い世界と繋がっている。
成長てのは、目標に向って多くを手に入れることではなく、
光のほうにそのままアグレッシブに伸びるだけで十分なんですね。
純粋に伸びていく間には、
複雑な感情や邪な考えはありませんので、
そのときのアグレッシブな力は生活を活性化させ、
奪って手に入れるよりも、多くのもの得ることが出来ます。
手に入れる、というよりも、
周囲の関わりによる自分の反応から多くを得る。
それは同時に何かしらを生み出しています。
手にした物をシェアするのではなく、
自分から生み出したものをシェアーしていく。
そこに循環の和が広がるのだと感じます。
何も持っていないと感じていても・・・
誰でも出来るシェアーは、
声であり言葉であり表情であり、からだの動作でもあります。
そのシェアーは毎日をとても豊かにしてくれます。
無財の七施、という教えがありますが、その通り。
本来、何も物が無い生活にこそ、
豊かさは沢山あったのかもしれません。
シェアーする物の中には、自分に身についた何かもあります。
キャリアであり、職場環境であり、友人関係もあり、
それらは自分が大切にしてきた何かかもしれません。
手放すべきものは、
伸びていく過程で、古いものは自然と剥がれ落ちていきます。
自ら意思を持って「えいっ」と手放さなくても、
成長のうちに自然と剥がれ落ちる。
というのがポイントなんじゃないでしょうか。
時間の経過もありますが、
自分が伸びていく過程で不要なものは外れていくのみ。
そして、それすらもゴミではなく、
他の何かの肥やしになります。
大樹の幹から剥がれ落ちた皮、
紅葉して落ちた枯葉も、足元の世界の肥やしになるように。
自分の上にある光に向かって、ただアグレッシブに伸びる。
日常生活では、自分から生まれ出るものをシェアしていく。
肥やしにしようと意図して手放すのではなく、
自分の成長による営みの中で剥がれ落ちる。
自分は、純粋に伸びていく。
そんな、とても気持ちの良い人生の過ごし方を教えてもらいました