これまで 自己愛人格障害に 生命力を奪われてきた人生

 

 

それにきがつき

 

何としてでも逃げようと

 

アレコレ試して来て

 

やっと先日、自分なりに節目となる

 

区役所の精神科の先生との面談が現実になりました。

 

 

4人もの方が貴重な時間を使って、念入りに調査と面談を事前に

してくださった上に、皆が同席して、対応策を考えてくれました。

 

 

結果として「医師もさじを投げるような末期症状」である

 

自己愛人格障害 パワー全開の両親と共依存の姉

 

であることが、改めて、社会的に認定された感のある面談となり

 

「〇〇さんは、本当によくやってる。。」

 

と、しみじみいわれました。

 

そして、精神科の先生も、さんざん、このタイプの人格の人間をみてきたようで

 

会ってもいないのに、もうビシバシと、その特徴を話していました。

 

これが、最近の流れです。

 

感謝感謝。。。と共に、とても安堵しました。

 

そして、新しい生活が始まったような気持ちがあり

 

「理解」を深めることが出来

 

「怒り」も湧き出て来ましたが(※これまでの)

 

それよりも

 

自分の人生を正確に知ることが出来てうれしかったのと

 

家族でも無い人の、親切や、共感や、愛情といったものの尊さを感じました。

 

私は、祖父母がとても良い両親代りだったので 

 

愛情のない家庭に育ったという感覚はありませんでしたが

 

自己愛人格障害の両親、共依存の姉は

 

もういらない!

 

と人生から捨て去る、切る パワーもむくむく沸いて来ました。

 

人を疑う、縁を切るというのは、非常にパワーが要ることです。

 

その力をもらえたんだと思います。

 

朝、起きた時 

 

「これまでの人生で取り戻せるものは、全部取り戻すぞ!!」

 

という 「気合」をもって目を覚ませるようになりつつあります。

 

 

 

ずばり

回復段階で わたしにとって一番困難だったこと

 

それは

 

親や姉が

 

「悪」である

 

という認識を受け入れること

 

エーリヒ・フロム というば心理学では有名な研究者の方です。

 

このフロムの名著として知られる 

 

本 「悪について」

 

https://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-Erich-Fromm/dp/4480098410/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1531204843&sr=8-1&keywords=%E6%82%AA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6+%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92+%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%A0 

 

新しい版が出版されています。

 

それだけ、多くの人の指標として存在し続けている名著だといえます。

 

図書館でも、大概手に入ると思います。

 

この反対に「愛について」

 

という本を、対極として、一緒に読んでみました。

 

 

2017年、昨年です。

 

ブログは休んでいましたが

 

かなり本を読んでおりました。

 

 

この中で、著者自身がであった

家族、そして、著者が「本を書くことで届けられたら」

 

という気持ちのこもった「メッセージ」を書いている

少年が登場します。

 

 

 

著者である、エーリヒ・フロムは

 

この「両親に心理的な虐待を受け続けてしまっている少年」

 

を何とか救おうとして

 

カウンセリングを重ねます。

 

 

でも 少年の両親の行動、自分の言ったことを捻じ曲げるやり方

の中にある

「悪」

 

そして、それを目の前にした自分が抱いてしまった

「嫌悪感」

 

という感情に圧倒され

 

最終的に

 

少年が望む方向ではない方向へ

 

親が独断で、進学させるということを許してしまいました。

 

それについて

 

著者、エーリヒ・フロムの複雑な胸中

はじめて出会った

 

人間の親でありながら

 

「本物の悪」に出会った衝撃

 

を書いています。

 

 

「今なら、即座に、この少年を親から引き離し

 

保護をするだろう。そして、それが出来なかったことへ

 

非常に後悔をしている」と

 

書かれています。

 

もし、この本を、その少年が

「会ったことのある、カウンセリングの先生の本」として

 

読んでいたら

 

どれだけ心が救われるか。。

 

そして、読んでいて欲しいと思ってしまいました。

 

 

それと同時に

 

私は、「自分が、この少年と同じ立場にある」

 

ということに、衝撃を受けました。

 

 

受け入れ難いことでしたが

 

受け入れなければ前へ進めない

 

と思いました。

 

お腹を痛めて、一生懸命ミルクやおしめを替えて

 

赤ん坊を育てた人であっても、ここまで その子供に対して

「悪」になれるのだ。

 

そういう、世界があるのだ

 

ということ。

 

知らないうちに、自分の身体に刺さっていた

 

刀があり、それに、気がついたようなものでありました。

 

でも、その自分を苦しめてきた「身に刺さった刀」を抜くには

 

その「存在」を認めて、しっかりと

 

「しかるべき方法」で

 

「刀を抜き」

 

「傷跡を治療する」

 

ことが必要であり

 

存在を認められなかったよりも

 

わかっただけ、苦しくても

 

かならず、前へ進めるのだという

 

確信という「方向付け」が出来た瞬間でした。

 

 

自分の感じていることを、必死に胡麻化して生活するのは

 

もう嫌だったので、この本との出会いが大きなパワーを与えてもくれました。

 

この著者、エーリヒ・フロムという人の功績を形成してきたのは

 

「人を救いたい」という使命と

 

「悪」と対峙すること

 

でもあり、

 

それが「愛すること」という認識を輝かせてきたのだとも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

ローマ帝国程の、大国でも

 

最終的に、なぜ滅んだかというと

 

「植民地となった国から、搾取ができなくなったから」

 

という理由をあげる人が多いそうです。

 

 

 

ローマ帝国が善悪という話ではありません

 

 

私の場合、自分の長所、手柄といえるものを

 

巧妙に壊され、搾取する両親、その共依存の姉がいました。

 

それに活用してみようという 作戦です。

 

なぜ、境界を越えて、他人の心理的な、精神的な領域まで

 

支配し、思考法まで変えてしまおうとするのか。。

 

「利用価値があるから」

 

それだけです。

 

「事実をねつ造して、相手を悪物にしたてて

手柄だけ持ってく」

 

これが、自己愛人格障害の、私の両親、姉の手口です。

 

※ただ、最近、年齢を重ねてしまい、その秘めた巧妙さに陰りが出てきて

周囲の一般の人に????と思われてしまうようになっていることが

私には、有難い展開になっています。

 

 

話は戻りますが

 

私は、その気がなくても

 

両親、姉からみると

 

「植民地、奴隷」である 私という存在

 

 

受験、習い事はじめ、「親が自慢したくなる」タイプの人間であったことが

 

これが、災いしていました。

 

ただ、一般的には、私の長所なわけです。

 

それを「あの子はどうしょうもない」

 

というところまで、周囲の評判を落として、ゴシップを流して(ないこと、ないこと)

 

真っ黒なイメージキャラを私に押し付けた上で

 

「優秀な子供を育てられた、教育熱心な善良な両親、姉」

+「親に感謝もしない酷い娘」

 

という図を作り上げる「技」は「天才」

 

 

ほれぼれする程の、「匠の技」であります。

 

だから、ローマ帝国程の勢いという意味で使っていますが

 

そこから、独立と、搾取を逃れる方法は

 

その植民地から脱した国から学ぶことは多いと思われます。

 

「言語」「ツール」「土地の特徴」だったり

 

入りこめない「独特な風習」だったり

 

異文化感が

 

「植民地化」しても

 

「コントロール不可能」にさせる要因であります。

 

それを、ちょっと翻訳、アレンジして

 

自分だったら

 

私は外国語を話すので、そちらの文化圏の人とつきあう

 

自分の専門分野の話題で、入りこめない話だけ、彼らの前へ提供する

 

感覚の違い、例えば、ネット社会を彼らは知りません。

 

だから、そちらの社会での話だけにする。

 

など、アレンジして、「予測不可能」「入り込むのは不可能」

 

という状況にして

 

ヒッチコックの映画のごとく

 

「何かが起きそうなのに、得体がしれない」

 

という「物体」として出現しない

「コントロール不可能なもの」を

 

匂わせる。

 

脅迫じゃありません。

 

私の生活では普通の実生活です。

 

これを、匂わせる。

 

頭も、勘もいい 自己愛人格障害

 

だからこそ、「考えてもわからない」

 

ということは、怖いようでした。

 

お互いに、「様子を探ってもわからない」ことの責任を

 

押し付けあうようになりだしました。

 

これが 去年 2017年はじめのことでした。

 

その後、あらゆることで

「関係を切る」

 

ということをはじめ、今に至ります。

 

時間は掛かりましたが

 

取り組む意味があります。

 

なにより、自分の人生を生きるために