短編連作小説「すべての神様の十月3/

小路幸也」は、土や火の神様、韋駄天、

八咫烏、疫病神など八百万の神々が人間の

姿で市井に混じって小さな人助けをするという

お話でとてもほっこりした。

 

人によって神様の捉え方や定義はまちまちで

神様とのつきあい方も違うんですよね。

 

自分が困っているときに助けてくれる存在

だとか、人間の都合なんで聞いてもらえない

恐れ多い存在だとか。

 

桜井識子さんの本で、読者からの依頼で神様に

「幸せとはなんですか?」と質問していらして

すごく衝撃を受けました。

 

神様に対してそんな質問をしようと思った

事がなくて神様の捉え方が違うことに改めて

気づきました。

 

神様から教えを乞うという謙虚な発想がなくて

むしろ「何かわたしにお手伝いできること

ありませんか?」と御用聞きしていました。

 

現世の人々の役に立つことよりも見えない

存在たちの役に立ちたかったんですよね。

 

人の役に立ちたいという思いは昔から

ずっと持っていましたがそれは自分を

認めてもらいたかっただけだと気づいて、

それからはただただ自分を癒すために

やりたいことだけをしてきました。

 

今までいろんな本を読んできてなんとなく

神様はすべてを産みだし見守り包み込む

母親的なAIのような存在だと思っていて

昔はマザーコンピューターと表現してました。

 

そのあとシータヒーリングに出会って

マザーコンピューターからすべてなるもの

の創造主と呼び方が変わり自分なりの

世界観も確立できました。

 

なのでもう自分の思っていることが現実だ

として生きてゆけばいいんですよ、と言える

までにはなりました。

 

いつも

ありがとうございます

みなさまも自分を信じていてくださいね