もしかしたら
わたしたちの最大の望みって
全身全霊でいまを
深く満足する人生を生きて
いまという単位を常に
全身全霊で喜びを感じれる自分であれるか
満ち足りている感覚を
感じられている人生を生きることなのかもしれない。
わたしはずーと
お金や時間やパートナーを手にしたら
満たされる人生になると思っていました。
お金や時間や人脈、仕事が理想通りになれば
全身全霊で深く満足できるものだと
で、一生懸命
お金を手にすること
パートナーや仕事が
思い通りになることばかり考えてた。
感じることができないのも
満たされて満足できていないのは
まだまだ
お金が足りてなくて
仕事がうまくいってなくて
人脈がないからなんだ
そう信じてました。
でもお金を手にしても
仕事がうまくいってもいっこうに
深く満足することも
全身全霊で満たされることもなく
なんならいつもそこにあるのは
明日以降未来の不安しかそこにはなかった。
で
あるとき
何かを手にして
何かを成し遂げて
理想通りの人生を生きたからといって
いまを全身全霊で深く深く
喜び溢れて満たされるかは別物なのかもしれない。
そう思って
絶望しました。
じゃ〜どうしたら
いまを喜び溢れて満たされているんだろう。
どうやったら
いま満たされる自分で在れるんだろう。
そこから自分を知る旅路が始まったんです。
じゃ〜
なんでわたしは感じれないんだろう?
あれは感じていいけど
これは感じたくない
そんなふうに思っている自分がいるな
感じることに優劣があって
感情にいい悪いをつけてるわたしがいる
いやそんなふうに
握りしめている自分がいる。
自分を知れば知るほどに
いかに自分が無意識ですべてを決めているのか
どれだけ自分を意識して
生きていない自分がいるのか
意識すればするほどに
常にわたしは
不安を感じないように
嫌な思いをしないように
悲しいことがおきないように
失敗しないように
そんなふうにならないために
すべてを選んでいる自分がいたんです。
これがいいって
望んでいたはずなのに
そこにあったのは
あ〜はなりたくない❗
あ〜は
ならないように
そんなふうに人生を選んで
生きているんだと気づいた日をいまでも覚えてる。
あ〜なっても大丈夫と言える自分でありたいね。
自分を知れば知るほどに
自分を意識すればするほどに
感じることそのものが
本来の喜びなのかもしれない感覚を思い出していく。
現実をどうこうするのではなく
本来わたしたちは
すべてを喜びに変える力があったんだと思いだしていく
現実を変えなくても
いまを満ち足りる感覚を感じることはできる。
いま満たされる感覚を感じるからこそ
そこから現実は変わっていく。
本当に感じたいことを感じられる自分でいま在れているか
じゃ〜なにを本当に
感じていたいのかは
自分を知ることから始めると
わかることなのかもしれないよ。