梅雨があけて
暑い夏がやってきましたね。
毎日毎日
汗だくになりながら
庭の剪定しております。
やりたいだけ
やっていいよ。
やりたいように
やりたいだけ
トコトン
やっていいんだよ。
小さい頃は
いつも何かに没頭してた
なんにも考えず
毎日毎日公園で
遅くまで
遊んでたな。
いつ頃からだろう
程々にしておこう
迷惑かけないくらいにしとこう
意味ないことは
やらないようにね
そう
言いだしたの。
お金にならないなら
やっちゃダメ
意味がないことは
やっても意味ないのなら
やらないって
決めたのいつだ❗
価値ありそうな何かを
やってみようとがんばって
お金になりそうな何かを
やってみようとがんばって
でも
本当にやりたいわけじゃないから
まったくもって
続かなくて
出来ない自分を
よくせめてきたなぁ。
自分をよく見せるだめに
興味があるわけでもないのに
何かをやりはじても
そこにはいつも
自分が不在だから
何か違う
これじゃないのかもしれない
じゃあれかもしれない
そうやって
いつもなにかを
探し求めてた。
自分が
どうしたいのかがなくて
人からどう思われたいか
人からどう見てもらいたいか
いつも
他人様。
自分は置いてけぼり
本当に探し求めてたのは
何かになりそうなものではなく
本当の自分だったんだ。
自分が
どうしたいのか
自分が
どうありたいのか
やりたいか
やりたくないか
本当は
ただそれだけなのにね
本当は
シンプルなのに
いつからか
からみ合い
もつれだし
ややこしく
なっていった。
自分のもつれた
内側の紐を
紐解いていけば
いくほどに
本当は
まっすぐに
自分の望みに繋がってる。
からめたのは
自分なら
紐解くのも
自分。
本来の自分を
まっすぐに見つめにいく
自分をしるって
謎解きしてるような
感覚なのかもね。
何かのために
ならなくても
いま
やりたいこと
思う存分
やってみよう。
程々にしてるものあったら
トコトン納得のいくまで
やってみよう。
わたしもね
スパイスの
虜になりたかったのに
はまるのこわいから
程々にしてたよ。
剪定もスパイスも
いやさかメソッドも
自分が魅力されてるものに
魅力されてみよう。