還暦親父になって思うことは

 

陽翔の成長をどこまで見届けられるか?

 

それが一番の不安です。

 

自然、自分の「死」を考えます。

まだ、まだ。と考えるのが私の年代でしょうが

息子を亡くし、娘を亡くし、では明日生きている保障はありません。

 

人は死の床で何を思うのか?

 

人生の後悔?あれをすればよかった?

あれができなかった。

 

間違いない言葉があります。

ベストセラー「七つの習慣」

序文

「家族や愛する者のことである。人は誰のために生き、最後はその人たちの

事を思うのだ。」

 

ごく当たり前であれば、子供の事をそして孫の事を思う。

私の友人の母が亡くなる時

「お母さん何か心配ある」と尋ねたそうです。すると

「あなた。」と。それが最後の言葉だったそうです。

彼はもう50も過ぎ私から見ると、これ以上望めないほど今でも人望があります。

それでも、子のことを一番気がかりだったのです。

 

娘はそれ以上に、どれだけ陽翔の事を思い残したか。

考えると胸が張り裂けそうです。

 

もし今、私が「死の床」にあれば、陽翔の生き末。

 

それだけです。

 

多分、死にたくないではなく「死ねない。なんでのいいから生きさせてくれ。」

と喚き散らすでしょう。醜いくらいに。

 

 

まぁ、前後考えず自殺しようとしたくせに。

いまさらですが。