こんばんは




昨日、私達家族のベビちゃんはお空に帰って行きました。

繋留流産でした。

私達のベビちゃんのこと。

少し書き留めることで

1ヶ月だったけど、生きた証を残したいと思います。



長文です。

流産についての記述が含まれます。

ご了承ください。



















今回の妊娠発覚は、長女の時とは少し違いました。

ベビ待ちをしていたので、排卵検査薬でタイミングをとりました。

10日後、12日後、14日後、16日後、

毎日のように妊娠検査をするも、見えるか見えないかのうっすらラインの反応のみ。

高温期17日目に中国製妊娠検査薬が終了線の半分位の反応を見せました。

ちょうど4週6日目の初診では2.5mmの胎嚢らしきものが見られるが断定までは行かず10日後再診。

10日後の6週1日目6.5mmの胎嚢と卵黄嚢と1mm程度の胎芽らしきものが見えました。

この時、成長がゆっくりなのが気になると言われました。

翌日大学病院へ転院(前回手術も出産もした病院で今回も出産を希望のため)

6週2日目7.7mmの胎嚢が見られるとのこと。

前回書いたように、この時既に流産の可能性があることを告げられました。


その間、つわりは感じませんでした。


6週5日目夕方 生理になる前に感じる、膣が広がるような感覚があり不安がよぎる

6週6日目朝   起き掛けの体の感じがいつもと違うし、生理痛のような腹痛 更に不安

       昼  午前中ずっと横になってすごした後トイレで鮮血の混じった下り物を見た

           すぐに救急に連絡し受診する

           胎嚢の成長は見られないが、進行流産ではないとのこと。帰宅して様子をみる

7週0日目    終日茶色の出血があるが量は少ない 一日で小指位の量

7週1日目    だんだん出血の量が増え、鮮血になってきた為再診

           繋留流産の診断 翌日から1泊入院で手術の予約をして帰宅

          16時半頃から腹痛腰痛が重くなり、出血が増えた

           生理2日目よりも多い感じ 痛みと出血は波があった

           少し出血が落ち着いたのを見計らっての入浴中に出産(22時すぎ)

           その後出血も痛みも落ち着いた

           病院に連絡し、翌日亡骸と共に来院する旨伝える


結果翌日の入院手術は無くなりました。

自然流産でした。




出血が始まってから安静にしていた間、いろいろ検索しまくりました。

お陰で予備知識が入り、事の成り行きを冷静に対処できました。

そして、流産ということを意識して5日程度経過していたこともあり、

覚悟もどこかで出来ていたのかもしれません。



病院で宣告を受けた後、大量出血となるまでの間に、

ベビちゃんがお空に帰ることになったお別れ会とお雛様のお祭りをしました。

娘殿にもベビちゃんとのお別れについてちゃんと説明できたし、

家族だけでいい時間が過ごせました。



その後お風呂場で出産できたこと。


私自身心の整理がついたし、

何より、ベビちゃんの為に唯一できた母らしいことでした。

それとダーリンは授かった実感も無いまま、亡くした実感も無いまま

心の消化不良になるのではないかと私は心配していました。

でも亡骸を前にその夜は夫婦でゆっくりとお別れの時間が持てました。

結果、私達夫婦にとっては幸せなことでした。



たった1ヶ月でしたが、本当にすばらしいマタニティライフでした。

つわりも無く、家族4人でいろいろなところに出かけました。

外食もしました。

お空に帰ることになっても、私にはほとんど痛みを伴わせず、

両親にお別れを告げて逝ったわけで。

なんて親孝行な子なんだろうって、心から誇らしく思います。

亡くした喪失感よりも、私達の心にはベビちゃんへの感謝と敬意が残りました。

ありがとう。

ベビちゃん。


こんな幸せな流産経験はなかなか出来ないと思います。

もちろん悲しみは絶えませんが、

先に進む力をくれました。




ありがとう。

ベビちゃん。