最近、三木大雲という住職の

怪談説法のYouTubeをよくみています。

三木住職は、小さい頃から、近所に住まれていた

亡くなった方に誘拐されそうなところを

助けられたり、殺されそうになったところを

奇跡的に無事であったり、僧侶になられてらは、

いろんな方の霊障などをお経で解決されたり

たくさんの不思議なことを体験されてきた方です。


私は、15歳の頃、古い家だった実家にいた

霊が夜な夜な現れ、とても怖い思いを経験しました。

20年ほど経ってから、

見える方に見ていただいたとき

その頃の私の精神状態が低い場所にいて、

そういう霊のエネルギーと

呼応したのだとアドバイスいただき、

納得したことがありました。

20代の頃も、怖い体験はありましたが、

30代半ばくらいから、そういうことも

なくなりました(時折、気配や

感じることはあります)。

それは、私が占いの勉強を始め、

神仏や、お墓参りを大切にするように

なったからではないかと思います。

神仏の存在を感じるようになったから

かもしれません。そうすると守られるように

なるのかもしれません。


うちの両親、特に父親は、仏教の信心が深く

大学生の頃、

禅宗のクラブに入り、夏休みなどお寺で修行

したりして、大学卒業のとき、

俗世間と完全に離れ厳しい禅宗の

仏門に入るか迷った人でした。

父の祖母にあたる私の、ひいおばあさんが

とても信仰心が深く、その影響です。

ただ、父の母や、父のきょうだいは、父とは

真逆の性質で、信仰心からは程遠い、

自己中で自分の感情しかわからない、

他人のことを全く考えない人たちでした。

父方の祖母、父の兄弟姉妹には、

精神的にも肉体的にも物理的にも

搾取ばかりされていた両親でした。


父方の祖母を

面倒みるために、私が7歳の頃から

私の父は都会で単身赴任、

私と母と弟は、その祖母と田舎で

離れて暮らし始めました。

前年に新築で建てた家も、人に貸すしか

ありませんでした。


けれど、私たち家族はいつも、

もっと祖母をいたわるべきだとか

祖母本人、父の兄弟姉妹に

言われ続けていました。

毎日の祖母の複数の病院の送り迎えと食事の世話、

それに加えて、日常茶飯事の暴言虚言の祖母。

すべて一人で行っていた母に向かって、よくそんなことが、彼らは、言えたものだと

今考えても、怒りと恐怖がこみあげてきます。

母は、よく泣いていましたし、

体も壊してばかりいて、

長期の入院も何度かしました。

父がいない間に、父の姉が、

信仰宗教の怪しい教祖を連れてきて私たちに言いたい放題やりたい放題したこともありました。


私は、生きていても、何もいいことなんてないのかも

しれないという考えが常にあって

希望のない子供時代を過ごしました。


ある日、本当に精神的に母がダメになりそうなときに

母方の祖母が、今で言う占い師さんに私たちを

連れて行ってくれたこと

そこで言われたことを今でも覚えています。

『一緒に住まれているおばあさんは、あなたの家族の

悪いところを引き受けてくれている』

当時、高校生だった私は、衝撃でした。

目に見えていることだけが全てじゃないのか、

と。

そのあとも、20年は、この祖母のことで

悩まされ続けました。今でも、祖母のことは、

私の中で、完全に消化できたとは

言い切れないし、複雑な感情もあります。

父の兄弟姉妹に対しては、未だに怒りの気持ちが

残っていますが、父の姉は他界していますし、

他の兄弟姉妹は、あまり良い晩年ではありません。

彼らは、自己中を他でもやっていたようで

他人に恨みを持たれるように生き方を

してしまったようです。

どんなに自分勝手な人でも

無意識の中で罪悪感だとか、

良心のようなものがあり、それが本人を

本当の幸せに導かないのではないかと

思ったりしましたが、

仏教的言葉では

因果応報なのかもしれません。


私の両親は、今が1番幸せだと言っています。

そして、私は、

祖母の面倒で自分たちの人生を

犠牲にした両親への労りの気持ちと、

辛い時期を共に乗り越えた

同志のような感覚を持っています。

ギリギリの場所に追い詰められた精神的な

苦しさの中で、お互いの嫌な部分を

見なくてはいけなかったことが

お互いの性格の理解にもつながりました。

それは、祖母と暮らし、父の兄弟姉妹に

苦しめられたことから得たものです。


また、三木大雲住職は、損得ではなく、

徳を積む生き方をしてください、とYouTubeの

なかでも、よく言われます。

神仏は、必ずいらっしゃるし、

見ておられると。

うちの母は、徳が行きすぎて毒になってしまい

自分の身体を痛めすぎたかもしれません。

それは、私にとって、

私の生き方の学びになりました。


父の祖母は、88歳ー98歳まで病院のベッドで

過ごしました。完全に痴呆症になり体も動かなくなりました。その頃には、私たちが誰か

分かってたのか少し疑問ですが、

私や母に、優しい言葉をかけてくれるよう

になりました。

面倒みてくれていたヘルパーさんや看護師さんには

暴言を吐いていたようですが、時折、

面白いことを言ったりしていたそうです。


三木大雲住職のYouTube

現代人の私たちには、とても大切な話が

たくさんあります。

ぜひ見てくださいニコニコ


プラハの

アート系監督カレルゼマンのミュージアム。