ついにMV解禁ということで、大いに沸いています。
やっぱり『わたし』いい曲よね。
SONYのSixTONES公式Twitterがきっちり仕事をしてくれて、6人の個撮ティザーを事前に30秒ずつ観られたのも、期待が高まって良かった〜。
さて、今回のMVなんですが、どういう仕立てになっているのかを読み解いてみたいと思います。
あくまでも主観ですが、職歴に映像関係の仕事や脚本執筆がある立場として、自分ならここに意味を込めるよ、という話をしたいと思いました。
まず最初のバース。
北斗「ありえないところまで心が動き出す」
大我「何気ない言葉すらひとつひとつがこの胸を奪っていく」
舞台は殺風景な屋内通路。
照明は蛍光灯のみ。
不自然に向かい合って置かれた椅子に向かって、背中に花束を隠した北斗が歩み寄り、立ち上がってそれを迎えた大我が見つめ合って花束を受け取る。
この花束の中で重要な花がニゲラだそう。
ℕ𝕪𝕒𝕟@st__51__💎 ⌇ #SixTONES_わたし 「わたし」MV関連WSOha!4メイキング有京本大我「いいテイクが出るまで監督さんも粘ってくれるし多分どのシーンもいい感じになっていると思う」髙地優吾「これ"ニゲラ"っていう花なんですけどね花言葉は"わたし"っていう(曲名と)掛かってるんですよ」 https://t.co/6G0vLH8T9Y
2022年05月17日 06:03
3/8つまり髙地の誕生花だそうです。
英語名 はdevil-in-a-bushまたはlove-in-a-mist。
つまり「藪の中の悪魔」と「霧の中の愛」。
花言葉はたくさんありますが、こちらのサイト では
「当惑」、「困惑」、「深い愛」、「不屈の精神」、「夢の中の恋」、「ひそかな喜び」、「夢の中で会いましょう」とありますが、制作陣は「本当の私」という意味で使っているそうです。
と、色々と情報を確認したところで、最初のシーンを解釈してみましょう。
「本当の自分」を隠して歩いてきた北斗が、ありえないところまで心が動いた結果、それを大我に託したのだと解釈できます。
北斗が花を取り出すのは、大我が立ち上がり、視線が同じ高さで交錯した後のこと。
それが心を許した瞬間なのかな、と思います。
先に進みましょう。
間奏部分では、顔を手で隠した樹が鏡の前に立っています。
顔から手を外した樹は、鏡を見ようとしません。
樹が鏡の前からいなくなると、ひび割れが見え、そこをジェシーが横切ります。
鏡は、自分の心の象徴と考えていいでしょう。
自分の心と向き合おうとしない樹が、ひび割れた心の中を横切るジェシーをみることはありません。
ジェシー「汚れた靴磨いても またすぐにどうせ泥だらけになるんだ」
樹「無駄なことで疲れるぐらいなら」
椅子に座ったジェシーは、手の中の花束に目を落としています。
北斗とは違い、本当の自分を隠していませんが、目の前にいるはずの樹と視線が絡み合うことはなく、花束が渡されることはありません。
それどころか、ジェシーは「本当の自分」の象徴である花束を大事そうに胸に抱えます。
すぐ近くにいるのに、お互いがそこにいることに気づいていないかのようです。
次のシーンの樹は、はっきりとカメラ(第三者)に視線を向けてきます。しかも表情まで作って。
ジェシーは、自分のことでいっぱいいっぱい、樹は周りを気にして自分の本心と向き合えない、という描写なのかもしれません。
慎太郎「いっそほら」
大我「さっさとさ」
慎太郎/大我「そんなもの仕舞っておこう」
背中合わせに立つ二人。
視線が合わさることはありませんが、花束が大我から慎太郎に渡されます。
違う方向を見ているから背中合わせ、というわけではなさそうです。
むしろ、背中を預け合うような信頼感で繋がっているので、差し出されたものを受け取ることができているのではないでしょうか。
慎太郎「わかってはいるさ」
優吾/樹「きっと逃げているだけだと」
北斗「あなたにわたしは」
北斗/大我「見せたくない」
背中合わせに一つの椅子に座る優吾&樹。
物語が削ぎ落とされた二人。
映像的に美しいのに、人形のように感情が見えてきません。
二人のいる方向に向かって奥から歩いてきた北斗は「見せたくない」で花束で顔を隠してしまいます。
そう。北斗はこのとき花束を持っています。
そしてそれは、他者と自分を分かつための道具に成り果てています。
ここまでに登場した花束は3つ。
最初に北斗から大我、そして慎太郎に渡されたもの。
ジェシーが抱えているもの。
そして、大我に渡してしまったはずの北斗が持っているもう一つの花束。
私が与えてきた解釈は、順に「信頼」「自己愛」「他者との分断」といったところでしょうか。
ユニゾン「ありえないところまで心が動き出す」
ジェシー「何気ない言葉すらひとつひとつがこの胸を奪っていく」
北斗が花束で顔を隠したのをきっかけにシーンが切り替わります。
6人がいるのは、抽象度が増した世界。
剥き出しの地面に先程までと同じデザインの椅子が置かれた、屋内とも屋外とも言い難い場所です。
周りを包む布は、薄く透けているのに硬さのあるオーガンジーでしょうか。
英語名のlove-in-a-mistを思い出します。
北斗と樹、慎太郎と優吾、ジェシーと大我。
各ペアの最初に名前を挙げた方は花束で、後に挙げた方は片手で顔を隠しています。
花束を持っているのは、そこまでのシーンで最後に花束を持っていた三人なので、場面が切り替わっても時系列的には連続した世界なのでしょう。
「この胸を奪っていく」のところで花束がそれぞれに渡されます。
そして、再びシーンの切り替え。
先程までとは異なり、柔らかい布が辺りを覆っています。
光も暗がりに蛍光灯ではなく、自然光のような柔らかいものになっています。
優吾/北斗「その意味は その価値は 答えようのない問いだけど」
画面には映らない北斗のハモに支えられるように、シーツのような布に包まって、切なげな表情でカメラに歌いかける優吾。
手に握っていた布が解けて、姿を現すのは頭まですっぽり布に包まれた大我。
大我/慎太郎「それなのになぜ それなのになぜ」
大我「何かを見つけたような気持ちでいる」
一瞬天を仰ぎ、よろめくように歩き出す大我。
その背後には、見守るように立っている慎太郎。
外に繋がるであろう窓の前では、布が風に煽られはためいています。
花束が出てこないこの一連のシーンでは、布が重要な象徴のようです。
シーツを思わせる素材なので、おそらくは夢を表現しているのではないでしょうか。
一つ前のシーンで花束を受け取ったはずの優吾&大我は花束の代わりに布に包まれ、渡した側の慎太郎はそうではありません。
苦しげな表情で「何かを見つけたような気持ちでいる」と歌った大我は、布を落として立ち去ります。
夢から醒めたのでしょうか。
ジェシー「わかってはいるよ きっと素敵なことだと」
北斗「それでもわたしが追いつかない」
花束を握ったまま、うつ伏せに倒れているジェシー。
歩いてきた北斗が跪き、その手から花束を取って、頬に手を添えてジェシーの顔を上げさせる。
交錯する二人の眼差し。
樹「ありえない」
再び廃墟感のある屋内にシーン切り替え。
全員が花束を持っています。
ユニゾン「ところまで 心が動き出す」
大我「何気ない言葉すらひとつひとつがこの胸を奪っていく」
ジェシー「私を奪っていく」
さあ、問題のシーンです。
おそらくですが、メンバー間でいろいろなアイテムが移動しています。
ジェシー→樹 ネクタイとシャツ
樹→ジェシー 斜めがけのベルトとチェーンネックレスとシャツ(インナーも)
北斗→大我 長いストール
大我⇄北斗 ボトムス交換?
優吾→慎太郎 シャツと銀のブレスレット?
慎太郎→優吾 青いシャツ
さらに、慎太郎のボトムスが白から黒になっていて、優吾のボトムスもダボッとしたものからスキニーなシルエットのものに変わっているように見えます。
これは何を表しているのでしょう。
この6人は誰なのでしょう?
私は、6人が一人の人物の中にある様々な側面を体現しているのではないかと解釈しました。
何故なら、それぞれが独立した人物だとすると、みんなの関係性がぐちゃぐちゃだからです。
今回は、4つの場面があり、基本的には二人ずつで登場します。
シーン1 屋内通路
北斗/大我→樹/ジェシー→大我/慎太郎→優吾/樹→北斗/(大我の声)
シーン2 抽象的空間
北斗/樹・慎太郎/優吾・ジェシー/大我
シーン3 窓のある屋内
優吾/(北斗の声)→大我/慎太郎→ジェシー/北斗
シーン4 廃屋の扉前
前列 ジェシー/大我
後列左 優吾/樹
後列右 北斗/慎太郎
アイテムの交換
北斗/大我・ジェシー/樹・慎太郎/優吾
北斗だけが全員と(ただし髙地とは声のみ)絡みがありますが、ジェシー/優吾、樹/慎太郎、樹/大我の絡みはありません。
(厳密には大我/優吾もないのですが、最初の樹/ジェシーと同じようにシーン的には繋がっていました)
6人はそれぞれ別の人格だ、とまで言い切って良いかわかりませんが、立ち位置的にも北斗がメインとなるペルソナということなのでしょう。
人格を表すペルソナという言葉には「仮面」という意味があり、最初の樹からずっと片手で顔を隠す仕草は『オペラ座の怪人』のファントムが見せたくない部分を覆っている仮面を思わせます。
一番孤立している樹は、シーン3に登場すらしません。
ここに何か大きな意味がありそうな気がします。
序盤に異物であるカメラを見つめてきた樹は、夢の世界には入れず、そこで起きていたことを「ありえない」と否定し、目醒めることを決めたペルソナなのかもしれません。
ということで、長々と綴って来ましたが、整理してみると、自分の中で分断され、千々に乱れていた思いが少しずつ主人格によって本当の自分として認められていき、一つの人格として統合されていった、というストーリーが浮かび上がってきました。
衣装の交換は、それぞれがお互いの一部である、という示唆ではないかと思います。
MVのフルバージョンが出たら、また解像度が上がるかもしれないので、期待して待ちたいと思います。
ここまでお付き合い頂いた方は、ありがとうございました!