明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。



2013年がどうであったか、なんていうのは年末が近づくにつれて誰もが考えることであり、ましてや年をまたいだ今さらすることでもないだろう。けれど1年を振り返ってどうであったか、なんてことに大した意味はなく、本当に大切なのはその時、その一瞬をどう考えるか、こそが大事。


何か行動を取った時、それには必ず結果が付いてくる。過程こそが大事、やることに意味がある、なんていうのは義務教育までの子どものやる気を削がないよう、言いくるめるための都合のいい文句だ。現実は、過程から必ず得られる結果こそが大事であり、その過程により大まかに分けていい結果と悪い結果の2つに分かれる。


結果というものは絶対に変えられない。塗り替えることはできるかもしれないけれど、それは新しい結果を作っただけであり、過去のその結果はそのまま残ってしまう。だから結果は受け入れる以外選択肢がない。いい結果であれば幸せ、悪い結果であれば不幸せだろう。けれどその結果について、それだけではなくもっとよく、もっと深く考えるべきだ。


いい結果を得られた時は、純粋に喜ぶだけで何一つ不都合なく幸せに事が済む。けれど、いい結果を得られたということは、何かしらそうなる要因がそれまでの過程にあったことは間違いない。ただただ喜ぶだけではなく、何故いい結果を得ることができたのか、ほんの僅かな時間であっても考えることはとても大切だ。


悪い結果となってしまった場合は、塗り替えられないのだから愚痴をこぼしたり、後悔などしても意味がない。けれどその代わり、大いに反省をすべきだ。どうして悪い結果となったのか、よく考え次に生かさなければならない。


失敗を経験して人は成長していく、とかなんとか、そういう言い回しがあるように、失敗した場合の反省の重要性は言うまでもない。失敗した原因を見つけ出さなければ、同様の失敗を再現することが目に見えている。一方、成功した理由は、別に見つけ出さず、次にそれを生かさなかったからといって失敗するとは限らないために、失敗した場合の反省に比べて重要度は低くなる。けれど、それを見つけ出し、心に留め、次に生かせば成功する可能性は高い。


結果が生まれたその時、その瞬間、それに対してよく考えることができる人は、失敗から成功を生み出すだけではなく、成功から成功を生み出すことができる。


と思うのです。だから、よく考える、これが2014年の目標。





非常に残念なことに、時間というものは本当にどうすることもできない。だから、その時、その一瞬の"過去"について、よく考えることは重要であるけれど、今より先の"未来"について考えることはそれと同等かそれ以上に大切なことだ。それを考えずに得られた結果が、時間の経過という取り返しのつかないものに左右されなければ問題はないけれど、もしそうでなかった場合、その結果を得た後どんなによく考え、最良の答えを導き出したとしても、時間の経過分マイナスからスタートすることになり、その差分を覆すには途方もない努力と強烈な運が必要になってしまう。

けれど、"未来"というものは非常に疎かにされがちであることは言うまでもない。いい年をした大人であっても、忙しい今に必死で先々を考える余裕などない、などと言い訳をしてないがしろにする。"未来"が近いであろう高校生、大学生であっても、分からないから仕方ない、と考えることの放棄が半分、現実的に不可能であることが半分。子どもであっても、いずれテスト勉強をしなければいけないという"未来"があることを知っていながらもゲームに夢中になり後々時間がなくなる。こんなのは幾度となく、身を持って経験してきた。


"未来"を疎かにされがちなのは、"未来"が今ではないため、今その瞬間に実害が伴わないからだ。しかし、その"未来"について考えることを疎かにし、自分がその"未来"に行き着いたとき、望むものと違い、時間の制約によって取り返しがつかなかったとき、そこを基準に考えることしかできない。アイデンティティという言葉は非常に重要であり、かつ非常に便利な言葉であって、その取り返しがつかなかった末の基準にいる自分を「私は私だ」と言いのけてしまえば、それができるのであれば何も心配はない。けれど、もし未来についてよく考え、何をすればいいのかをよく考え、実行して迎えた"未来"はその上を行くことは確実だ。


奇跡は起こらないから奇跡なのである。よって絶対に起こらない。思い描く"未来"は偶然手に入るものではなく、考え、行動し、自分で手に入れるしかない。


と思うのです。だから、よく考える、これが2014年の目標。