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いよいよ帰国の日。
約3年暮らした街を離れる。
これまで引っ越しは何度もしてきたけど、また来ることもあるさといつも思っていた。
この町にはもう来ないだろうなぁと思うと、ちょっと寂しい気もする。
朝5時、Iさん夫妻が迎えに来てくれた。
いつもお世話になりっぱなし。
本当にありがとうございました。
空港で握手をして別れ、カウンターへ。
トランク3つのうち1つは重量オーバーだったけど、なぜか追加料金を取られることもなくスルー。
娘も初めての飛行機は、離陸の最中に寝てしまうという豪胆ぶり。
無事DCに到着。
4時間待ちのダレス空港でスタバで朝飯を食べ、娘を疲れさせるためにひたすら散歩。
途中ANAから呼び出しが来て、よもやビジネスにグレードアップか?と期待させられたが、ホントにただの呼び出しだった^^;
DC-成田14時間の空の旅は、空港散歩効果か前半は娘も寝てくれて、こっちも映画を見たりリラックス。
しかし7時間経ってもまだ半分。
当然娘も寝られなくなり、抱っこして立っている時間も長くなってきた。
最後は奥さんグロッキー。
14時間で明らかに3歳くらい年をとっていた。
何はともあれ、俺にとっては3カ月ぶり、嫁さんは2年半ぶり、娘には初めての日本に無事到着。
これでポスドク生活も終了。
プレーヤーからコンダクター・マネージャーへと変わるわけだ。
キリが良いので、このブログもここでシーズン1を終えようと思う。
3月になって赴任したら、また新たにブログを始めようと思います。
これまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
また新しいブログを立ちあげたら告知しますので、ぜひ今後もよろしくお願いします。
アメリカポスドク生活を終えて、地方大学で新しく研究を立ち上げる様子でも書いていければと思っています。
DCからわが町へ。
再びドライブ。
途中ダレス空港そばの日通に寄って、最後の荷物を発送。
順調に帰ってきた。
。。。と思ったら、突然の雪。
一応雪の予報にはなってたけど、大して積もらないという話だった。
それがみるみるうちに白くなっていく道路。
坂道を上れない車。
坂道を下っていて壁に突っ込んだ車。
うちのらんさーちゃんもちょいちょい滑っていた。
こりゃー明日は飛ばないかなー、と覚悟していたが、思ったより早く雪雲は通り過ぎ。
道路の雪も、透明になっていった。
夕方の便はキャンセルされてみたいだけど、明日の朝は大丈夫かな。
でも機体が来てないなんて可能性もあるわけか。
インスペクションを受けるために、アパートに戻る。
と、すでに風呂釜の解体準備が。。。
おいおい、まだ家賃はらっとるぞ。
インスペクションはレジデント・マネージャーがするそうな。
つまりご近所さん。
そのせいか、超甘甘。
せっかく苦労して焦げ付きを落としたガス台には一瞥もくれず、嫁さんは私の努力はなんだったんだーと怒っていた。
ま、金取られないんだからいいじゃん。
夜はI夫妻と最後の晩餐。
明日は朝早く空港まで送って頂く。
ありがたし。
日本に帰ってきたら是非上手い魚を食べに行きませう。
その後Gさんに車を渡しに。
アパートにつくと、そのまま車を置いて行くと勘違いしてたGさん。
いやいや、我々赤子とどうやってホテル帰るんですかい。
明日はIさんに送ってもらうことにしたと伝えると
「それじゃーお役ごめんですか!」
と嬉しそう。
やれやれ、素直な人だ^^;
ホテルに帰った後、ボスへのプレゼントとカードを置きにラボへ。
10時を過ぎていたが、学生のKが勉強してた。
隣のラボもその隣のラボもポスドクが仕事をしてた。
やれやれ、早く日本で仕事を始めないとな。
さて、明日は4時起きで、20時間のフライトだ。
子連れ飛行機はどんなもんか。
今日は1日DC観光。
DCに来るのはもう何度目か。。。。
でもまだ行ってなかったジョージタウン。
朝タクシーでその端まで行き、ぶらぶらと町を散歩。
津田梅子やジョン・F・ケネディーがこの町を歩いていたのかぁと、、、ま、津田梅子の時代とは町の様子はだいぶ変わってるんだろうけど、それでも建物は古くて面影くらいは残ってるのかも知れない。
エクソシストの階段を上って、ジョージタウン大学へ。
ビル・クリントンの出身大学。
アメリカでもかなりレベルの高い大学のひとつ。
アメリカではカトリック創設の最古の大学だとか。
構内をぶらぶら歩いて、カフェテリアへ。
日曜でも勉強してる学生がちらほら。
えらいねー。
昼飯を食って自然史博物館へ。
ここも始めてだったが、恐竜の化石や哺乳類の剥製は、まぁ、こんなもんかなーという印象。
ホープダイヤをはじめとした宝石たちに群がる女性の先に、ぽつんと見る人もなくたたずむ灰色の石が。
。。。月の石でした。
一時は行列が出来るほど注目されたはずなのに。。。
でもウィキペディアで調べてみたら、アポロ計画で持ち帰られた月の石の総重量は382kgなんだとか。
それだけあれば、あまり価値のあるものでもないか。
最後は何度目かのナショナル・ギャラリー。
もうそう来ることもないだろうから、フェルメールとダ・ヴィンチだけもう一度見ておこうと思った。
ダ・ヴィンチの絵画をヨーロッパ以外で見られるのはここだけだそうだ。
あの人は興味の幅が広すぎて、絵も確か20枚くらいしか描いてなくて、しかも大半完成させずに終わっている。
「ジネヴラ・デ・ベンチ」の肖像は数少ない完成品。
という話だったと記憶してるが、よくよく考えたら「モナ・リザ」だって何度も書き直して、今の状態が完成品なのか分からないわけだから、「ジネヴラ・デ・ベンチ」の肖像だってもしかしたら本人書き直したい所くらいあったかも知れないよなぁ。
しかしあの存在感はなんなんだろう。
そういえば14枚目のダ・ヴィンチの絵画が発見されたとか一時期騒いでたけど、あれはどうなったんだろう。
テレビで見た絵は、とてもダ・ヴィンチのクオリティーには見えなかったけど。。。
フェルメールはオランダで始めて本物を見てからすっかり気に入って、アメリカに来てからもフェルメールのある美術館は全部行ってみた。
フェルメールの作品は静寂のなかにストーリーがある。
全てが良いわけじゃないけど、ナショナルギャラリーの「手紙を書く女」や「天秤を持つ女」は良い。
けど、フリック・コレクションの「婦人と召使」の方が好きかなぁ。
たしか世間的な評判は低いはずだけど。
さて、明日はまた雪だそうな。
飛行機飛ぶんかなぁー。
いよいよ引越し。
朝GさんとIさんに手伝ってもらい、まずソファーを近所の家に。
家の住人、寝てました。
その後ボスのDがでかい車で助けに来てくれて、ソファーベットを解体してEさんの家に。
思ったよりスムースにことが進んで、無事設置終了。
いやー、しかしボスには助けられっぱなし。
ホントいい人で良かった。
しかしここからいまいち上手く進まず。
まず、9時に家具を取りに来るはずのベトナム人たちが10時半になっても来ない。
11時半から予定があったので、呼びに行って早く取りに来るように言う。
この辺から嫌な予感。
その間にOさんの家に赤ちゃんグッズを移動。
。。。が、後で渡し忘れを発見。
お金も受け取るのを忘れて、わざわざ届けにきてもらってしまった。
11時半からのTaxの相談会に行くために、ベトナム人からお金を徴収することに。
約一名、前々からごちゃごちゃうるさかったやつが、
「$57払ってくれ」
と言うと、
「$50で良いか?」
と、のたまう。
こいつ、最終的にEさんが買ってくれたソファーベットを最初に買うと言ったやつ。
この値段で良いか?と聞いて、良いと行って帰ったにも関わらず、数日後、やっぱり半額にしろと言ってきた。
そんなやつには売りたくないので、だったら他を探すと言ってやったいきさつがあったわけ。
でもその他のものは買いたかったらしく、今回のトレードになったんだけど。。。
「おいおい。$57で決まっただろ。」
「金がない」
。。。こいつは。。。ダメなやつだとは思ってたけどやっぱりか。。。
「いいから、持ってる金を出せ。」
といって、結局$53出させた。
きちんと払ってくれようとすればまけてあげようとも思うんだけどねぇ。
時間があったら全額出させたんだけどな。。。。
日本人の皆様、お金は事前に徴収しましょう。
ジェントルマンシップなんていりゃーしませんぜ。
その後TAX相談サービスでも不運が。
担当してくれた学生さん、、、カの泣くような小さな声で話す中国人。
こんな自信なさげで大丈夫なのかなぁと思っていたら、案の定何も分かってなかったみたい。。。
結局予定の時間を1時間近くすぎても終わらず、月曜に書類を取りに行く約束に。
まぁ、なにはともあれ、その後家に帰って最後の掃除をして、4時過ぎからDCへ移動。
歴史的な大雪に見舞われたDCはやっぱり道がいまいち。
なんとかホテルにチェックインしたのが7時半。
タクシーで寿司を食べに行って、帰ってきてやっと一息つけた。
。。。にしても、このホテルの部屋いいなぁ。。。
なぜかシャワーが2つにバスタブが1つついてる。
つまり3人が同時に風呂に入れるわけ。
部屋も広いし、ベットも広い。
さすがDCで満足とNo.1なだけある。
今日の不運もここでチャラになったな。