銀婚式 | 粘着されまくり

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粘着されているので、基本放置です。

昨日は、俺と嫁さんが入籍して25回目の結婚記念日だった。


25年前、出来ちゃった結婚をしたときは、今のご時世と異なり冷ややかな目で見られることが多かった。

両親にすら「親類縁者には、誰にも教えるな」とも言われた。


俺が入籍する1年前に実姉が結婚し、結婚式(披露宴含む)を行っていたが、俺の場合は全くそんな話すら出てくることは無かったし、逆に、隠されてしまった。


20歳で入籍し、本当にその後の生活は山あり谷ありの連続だった。

給料も、手取りで10万円を切っている時代で、嫁と息子、その2年後に産まれた娘を養っていた。

実家と、俺の居住地(勤務地)は車で3時間かかる地域。

当然親元からも離れていたし、何ら援助など受けることは無かった。


長男が産まれて半年くらいたったとき、俺はオートバイで自損事故を起こし、生死をさまよう状態になったことがある。

幸い命だけは取り留めた物の、1年間近くの入院生活を送った。

その後、毎年のように手術を10年間位行い続けたが、俺の左足は治ることは無かった。


30代中盤に起業するも、バブルの崩壊とともに、わずか数年間で事業に失敗した。


それぐらいでは書ききれないくらいの苦労を嫁さんにさせてきた経緯がある。


震災前の計画では、嫁さんと二人で旅行か、何か美味しい物でも食べに行こうかとも考えていた。

だがこの震災のまっただ中に、それらのことは全てを自粛した。


誰に言ったわけでも無いのだが、昨夜は息子夫婦と孫、娘の彼氏、義妹夫婦とその息子たちが、我が家に集まってきた。

きっと息子と娘が声をかけたんだろうが、ものすごく嬉しかった。


そして慎ましいながらも夕食を全員で食べた。


俺から嫁さんには生花をプレゼントしたが、その中に菊の花が入っていたらしく、家族全員からの突っ込みが激しかった。

そう、俺は生花には疎いのであった。


実の両親とは18年間暮らしたが、嫁さんと一緒に暮らした期間の方が遙かに長い。


本当に苦楽を共にしてきた25年間だったかと思うと、感慨深い物がある。


俺の口からは言えなかったが、「今まで25年間有り難う」と心の中で叫んでいた。