早いもので私の夫が他界して28日で6年になります。

先週七回忌の法要を、義姉夫婦と息子たち、遠方から菩提寺の住職においで頂き執り行いました。

南三陸の元気なばあちゃんは、まだ入院中のため欠席となり、大変残念そうにしていました。「退院したら行くから」と、ばあちゃんの分まで拝んでおくようにと頼まれました。

どうすることが人の分まで拝むことなのかわかりませんが、まあ気持ちは伝わったことでしょう。

 

夫との出会いは、私が仕事帰りに週1回通っていた洋裁教室の師匠が一目ぼれした若者、ということで引き合わせて頂いたのです。

お話しを伺って「こんな方かな?」と、想像した通りの顔、人柄で「前世でもお会いしましたか?」と、聞きたくなるほど初めて会う人とは思えなかった、それが私の印象でした。

中型二輪のバイクに乗り、背中のリュックに洋裁の道具を詰めて来る弟子、と私のことを師匠は紹介したようで、それに夫が大変興味を示したとのことでした。

 

結婚を決め、初めて私の実家に夫が挨拶に行った時のことです。父が「素晴らしい女性がたくさんいる中で、金銭感覚は丼、行動は出たとこ勝負のこの娘をなぜ選んだのか?」と夫に質問していました。 

???一体あなたは誰の親ですか? というのがその場にいた私の感想です。

親が腹をくくったコントロール不能な娘を、こんな素晴らしい男性が選んでくれるのか、というのが父の印象だったと聞きました。

私を知る人が皆一様に絶賛してくれた人柄、それが私の夫です。

 

夫は私を「とみゑさん」と呼びました。本当に私を個人として尊重してくれた人です。私以上に私を大切にしてくれる人、息子たちや私の親も同様に。

東日本大震災ですべてを失った母が、「津波で家を失ったより、篤が亡くなったことがショックだ」と言っていました。

 

夫は会社の営業職で、会社はもちろん取引先の方にも受け入れて頂いていたことを葬儀でも感じることができました。

大学のアメフトのお仲間のことを、一生の宝だと自慢していました。今も年に数回飲み会があり、夫亡き後も私が参加させて頂いています。

また、一緒に子供を育てて頂いた町会のお仲間も息子たちのおやじ替わりです。

すべて夫が残してくれた財産です。

 

がんの告知を受けた日からしっかりと病気と向き合い、手術を受け、再発してからは辛い治療も淡々とこなしていた人です。

私も最期の日はあんなふうにりっぱでありたいと思えるほどでした。

そんな人の家族として喪主を務めさせて頂いたことを誇りに思いました。

葬儀に参列してくださった方が皆、私と話し夫に言葉をかけていらっしゃる姿に、こんなにも多くの方に見送って頂けることは幸せなことと感じました。

 

あれからもう6年も経ちました。

夫は今も私を支えてくれています。

力いっぱい生きること、人の死、亡くなったあとの残された者たちにできること、いろいろなことを夫は私や息子たちに教えてくれているのだと感じます。