私は小学校高学年の時、「サインはV」というバレーボールドラマに夢中になった世代です。

家の前の車庫のコンクリートにチョークで勝手に〇を書き、そこを目標にボールを当てて毎日アンダーレシーブの練習をしました。中学に入ったらバレー部に入ることを夢見て、下積み生活のような感じです!

 中学3年間バレーで体を鍛えレギュラーとして試合にも出る経験をさせて頂きました。

 

 高校に入った時も何も考えずバレー部に入ったのですが、先輩たちを見ても、私より背がちっちゃい方も複数いて、「これって万年一回戦敗退チームじゃない?」と思い始めたころ、陸上部と剣道部からの度重なるラブコールがありました。

 陸上部は、中学のバレー部の先輩が陸上に転向したことでインターハイ出場までできていることで、私が短距離ダントツに早いことに目を付けお誘いを頂いたのです。

 でも、走るために走りの練習をするのは好きじゃない、という理由でお断りしました、ごめんなさい。

 

 剣道部は本当にしつこく誘って頂きました。

 「一度入った部活を途中で投げ出すことはならん!」と父に一晩説得されましたが、「一から新しいことに挑戦する気持ちで3年間続ければできる」と、思ったより私の意思が固いことを認め、同意の印を押してくれたのです。

 

 竹刀なんか持ったことがないのに「素振り」からの練習です。まっすぐ振ることがいかに難しいかの体験学習で、一日何千回かの素振りばかりの日々です。それが身につかなければ先に進めないことが分かっていても、まあ辛い! 防具をつけての試合形式の練習なんていつになることでしょう。手はマメだらけ、腕はパンパン。

 

 部長の「黙想!」という号令で、正座をして目をつぶり精神統一するところから始まるのです。

それを毎日続け、夏の辛い合宿も耐え、秋口にはちょっとましなヘタクソになりました。

 

 女子部員が初めて入った6人ということもあり、男子部員に鍛えられ一年生で大船渡沿線の大会に出場させてもらいました。宮城県と岩手県の中のチームの大会ということです。

 

 生まれて初めての剣道の試合、「先生何すればいいの?」と顧問の先生に聞いたところ、「お前の好きなように相手をたたいてこい!」というわかりやすい指示でした。それなら!とばかりに大暴れです。「先鋒」という一人目として試合に出て、勝負の流れを引き寄せる役割ということも性格にあっていたのでしょうね。

 終わってみれば私だけ一度も負けなしだったため、大会の「最優秀賞」を頂きました。

 何年も剣道を続けている先輩たちに「俺もほしい!」とうらやましがられました。男子と一緒に練習しているおかげで、スピードが速めの強い女子なのかもしれないと思いました。

 

 剣道の練習は「黙想」に始まり、相手の動きを読む・考えるなど、武道は独特なものだと思います。町の有段者のご指導も頂きながら朝稽古や寒稽古もありました。

 私と剣道部の一人の先輩だけが居合道も警察署の道場で稽古をさせて頂き、昇段試験も受けました。使いませんが、私は剣道2段、居合道2段です。

 

 高校3年間はまさに心と体を鍛える機会で、どちらかというと「部活命!」と勉強もせずに部活ばかりの日々と言って間違いないでしょう。

 先輩後輩の強いつながりもあり、現在58歳になった私の人間としての形を作っているのが剣道の精神だと感じます。

 

 7年前の東日本大震災の後、剣道部の同級生が言いました。津波の直後、全くプライバシーのない避難所生活をしながら、日中は遺体搬送などをしていたと。「若い人にはトラウマになるからさせられねえ、俺らがやんないとと思って剣道部の後輩と一緒に毎日やった」と。

 人としてのやさしさを感じます。

 

 私のふるさと宮城県南三陸町は震災で8割以上の家がなくなり、みんなの生活がその日を境に一変しました。

 でも、変わってしまったなりにみんなががんばっていることを感じ、現地に1か月ボランティアに行った後、私もいつでもなんでもできるように体をフリーにしておきたいと思い、それまで勤務していた市民団体をわがままですが退職させて頂きました。

 今も同級生だけでも3名行方不明です。そのご家族とも焼香させて頂き話しを聞き、確かに生きていたその人を思い出し、時には一緒に涙を流します。

 

 現在はたまに竹刀で素振りをする程度の元剣道部の私が、国家試験に挑むときも他のスポーツの試合に出るときでも、やっぱり「剣道の精神」が基本になっている人なんだろうな、と自分のことながら感じます。

 

以上、私の昔話と自慢話でした、終わり!