私の祖父は3年前の2018年に97歳で長い生涯の幕を閉じました。
海軍で先の大戦を経験した祖父は、幼い頃から何度となく出征中の話をしてくれました。
その中でも一番よく話していたのは乗っていた軍艦が撃沈され、九死に一生を得た話です。
友人の出征にあたって(前列向かって右端が祖父)
出征前の祖父(前列中央) アコーディオンが得意で老後に地元シルバー楽団の団長も勤めた
話の概要は以下の通りです。
実家が鉄工所ということで工作兵として祖父が乗艦していた帝国海軍の航空母艦「千歳」は昭和19年のフィリピン沖海戦で激しい攻撃を受けた。
30度ほど艦が傾いた時に退避命令が出て、急ぎ足で階段を押し合いながら上がり艦橋に出ると、艦の横腹がすべり台のように海面に出ており、そこをすべって海に飛び込んだ。
夢中で泳ぎ、万歳の声がするので振り返ると艦は艦首を上げて棒立ちで沈みつつあった。
回りには4,5人が泳いでおり、悲鳴を上げている者もいた。
背泳ぎなど色んな泳ぎ方をしながら泳いでいると、いつの間にか静かになったので回りをみると、近くには誰もいなくなっていた。
「ええくそ死んでたまるか」と独り言を言いながら泳いでいると上空に敵機が現れ、機銃掃射を受けるのではないかと恐ろしかった。
敵機が去り、飛行機の車輪止めをみつけて掴まったところで一隻のカッター(短艇)を見つけてほっとしたのもつかの間、すぐに一杯になり乗れなかった。
200メートルほど先で長い角材につかまった仲間2人が手招きしているのが見えて、助かったとばかりに泳ぎ着いて、2,3時間ほど3人でぶら下がっていたところ、巡洋艦五十鈴に助けられた。
翌朝沖縄に入港すると、生きて帰ったとのことで尻を棒で叩かれるという制裁を受けた。
命からがら逃げてきたことを考慮し叩く回数を減らしてくれたが、たいそう痛かった、と言っていました。
祖父は運良く生き延びましたが、千歳の乗員はこの戦闘で岸良幸艦長以下903名が命を落としたと言われています。
このエピソード中で、「ええくそ死んでたまるか」と諦めることなく泳ぎ続けたところに、一兵卒だった祖父の生身の人間としての姿が現れていると思います。
教科書的な教育も大事ですが、モノクロのはるか遠い昔の歴史上の出来事として感じがちな先の大戦が、現場の若い兵士達がその時何を感じ、何を思ったかを知ることで、身近でリアルなもので感じられると思います。
先の大戦の経験者が少なくなる中、私の1歳の息子(すなわち祖父にとっては曾孫)の世代が直接体験談を聞ける機会はいずれ無くなります。
しかし映像等を通して、リアルなものとして次の世代にも伝えていく必要があると思います。
そういう意味で、昨晩NHK BSで再放送されていた2020年放送の「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」は戦争を生き抜いた元少年兵の当時の思いが率直に語られていて、当時の戦争の現場が大変リアルに感じられるものでした。
印象的なのは、戦後間もなく再会した元少年兵二人が、「生き残った自分達が日本の復興のために力を尽くそう」と誓いあったというエピソードです。
時代の犠牲者であるにもかかわらず、散っていった仲間のためにも、大戦を生き残った者の責任として戦後復興を成し遂げるんだとの熱く、貴い想い。
戦後、驚異的な復興と経済成長を遂げた我が国の奇跡は、そんな先人達の想いがあってこそだったんだと教えられます。
私が子供の頃は、先人の犠牲と猛烈な努力の下、戦後日本は奇跡の復興と経済成長を遂げ、こんなに素晴らしい国になったんだと素直に言えました。
しかし今、日本は転換期を迎え、衰退の危機に直面しています
先人の犠牲のもとで世界に誇る素晴らしい国となったこの日本を、このまま何もせずに座視して衰退させるわけにはいきません。
次代を担う現役世代として、先人への感謝を胸に刻みつつ、大改革と日本再生への戦いを続けていく決意を新たに致します。