平成26年11月10日に俳優の高倉健さんが亡くなって今日で丁度9年となります。


今の若い人たちにはピンとこないかも知れませんが、我々、団塊の世代にとって、高倉健さんはまさに憧れのスターであり男でした。


健さんが亡くなったことはしばらくはオープンにされず、一般にメディアを通じて知らされたのはそれから1週間余り過ぎた頃でした。


私はおりしも学生時代の所属サークル同期会に参加して帰京する際の新幹線の中で健さんの訃報を知り、銀座の東映本社前に献花台が設置されるとのことだったので、東京駅で下車し銀座に向かいました。



東映本社前に着くと、そこには鍵さんの死を惜しむ多くの人たちが集まっていて、なんとも言えない悲しみと寂しさに包まれていました。


鍵さんは学生運動真っ盛りの頃に青春時代を過ごした団塊世代のヒーローでした。


不条理なことには身をとしてでも反発する男を演じ、映画館から出てくる若者達の多くが映画の健さんと自分をダブらせて、何故か自分も鍵さん風のそぞろ歩きになったり、言葉づかいを真似たりして、その気になって出てくると揶揄されたものでした。


鍵さんは、始めは東映の任侠路線に乗り、筋を大事にするヤクザを演じました。演技自体はそれほど上手でもなかったのですが、その存在感は他を圧倒するものがありました。


やがて、本物の健さんはそのジレンマから自分を解放すべく、ヤクザではなく本物の男を演じる役を志向するようになり、任侠路線との決別を選択しました。


鍵さんの素晴らしかったところは、いい映画を作る為には、自分の日常から正して行かないと本当の役は演じられないというものでした。


健さんの、変わらない人への接し方、生き方、一貫性は多くの人達からリスペクトされ、信泰する後輩役者も多かったようです。


さて、昨今のエンタメ業界のお粗末さを見るにつけ、もう二度とあのような名優が現れることはないだろうと思うのは私だけでしょうか。


高倉健よ永遠なれ


       2023年11月10日


                  合掌