おはようございます。野田智子です。
早いもので、もう暮れになってしまいました。

私の遠縁にあたるのですが、札幌に住む素敵なご夫婦をご紹介いたします。

稲垣義弘さん90歳と奥様恵子さんは86歳です。

ご夫婦は楽しく穏やかにお二人だけでお暮らしになっています。

恵子さんは、車いすの生活です。義弘さんは恵子さんのサポートを58年間なさっています。

恵子さんの体が不自由になったのは、58年前に医者から処方された胃腸薬を飲んだためです。

ほどなく身体に異変を感じましたが、まさか医者から出された胃腸薬が原因とは思ってもみませんでした。

これが安全神話を背景にして起きた日本最大の薬害となったという薬害スモンです。

胃腸薬の名前はキノホルム。当時キノホルムはよく使われていた薬です。 

スモン(SMON)はSubacute myelo-optics neuropathy(亜急性視神経脊髄末梢神経炎)の頭文字です。キノホルムという整腸剤の副作用による薬物中毒と言うことが判明されています。1950年から1970年にかけて特に1960年に多発しました。

薬の服用により、激しい腹痛、便秘や足先からのしびれ感が初発症状があります。下肢末端にビリビリ感ジンジン感のしびれがあります。下肢の筋力が低下し歩行が障害され、重症の場合は上肢に及び歩行困難になります。また重症になると失明し、全盲となります。

スモンの原因がキノホルムと判明し、原因不明、奇病、伝染病と言われてきた患者の憤りは高まり、製薬会社と国の責任が問われ、訴訟となりました。

約11,000人が質問と鑑定され何年にもわたる訴訟の末に、ついに和解が成立しました。

恒久対策として、原因追求と治療法の開発、検診等で予後追求と健康管理を行うことになり、現在は厚生労働省難治性疾患政策研究事業「スモンに関する調査研究班」に事業が引き継がれています。

さて、59年前、恵子さんはそのキノホルムを飲んだときには妊娠中でした。奇跡的に無事に出産し健康な赤ちゃんが生まれました。

しかし、恵子さんは歩くことができなくなりました。首から下は、常にしびれている状態です。家の中では床に座って、腕を使って滑るように移動します。トイレも1人でできます。

まず座っている床から、上下する移動機に乗り、車椅子に乗り移ります。車椅子でトイレまで行くと車椅子から自分の腕の力だけでトイレに移ります。

恵子さんは.7年前に腕の手術をしました。今まで長く腕を酷使したためです。この手術をしたら、もしかしたら腕は動かなくなるかもしれないと言う大手術でした。

しかし、恵子さんにはは必ず良くなると言う強い信念がありました。

激しい痛みを抱えながらのリハビリは、強靭な精神力で乗り越えました。

恵子さんは自分には使命があるといいます。

スモンで苦しむ人々を救うことです。二度とこんなことがあってはならないという想いです。

恵子さんは38年前に、公益財団法人北海道スモン基金を設立しました。

現在スモン発症患者数11,000人。このスモンの治療法を解明するため、スモンの苦しみから解放するため、希望ある生活ができるようにするために活動してきました。

恵子さんは車椅子に乗って、札幌から東京の厚生労働省に100回以上実情を訴えに行かれました。
「スモン被害者の命に対する国の償いは、陳情ではなく、国の当然の責務として求め続けてきました。たとえ基金の事業が終了しても、スモン被害者対策体制整備への運動は、薬害被害者であると言う以前に、一国民として国民の人権、国の理論と言う視点からも問い続けていかなければならないと言う重要性を感じています」

今年令和4年3月31日で、公益財団法人北海道スモン基金は事業を終了しました。

恵子さんは、美智子妃殿下によく似た美しい人です。謙虚で明るく、少女のように素直です。温かく慈愛に満ちた笑顔で、どんな人も受け入れる優しい人です。

2人のお子さんは、お母さんの恵子さんが足が不自由だったと思った事は1度もなかったそうです。恵子さんは明るく楽天的な良妻賢母です。

恵子さんは不自由な体で、子供たちの為に安全な家庭菜園で野菜を作っていました。どんなにか大変だったと思います。

驚くことに恵子さんは車の運転も抜群に上手なんですよ。無事故で安全運転です。

最後になりましたが、夫の義弘さんは100回以上行った厚生労働省の時も、買い物の時も病院の時も、毎日恵子さんの車椅子を優しく押してこられました。本当にすばらしいと思います。義弘さんがいなくては、このような偉業はできなかったでしょう。

義弘さん恵子さんは、スモン被害者と共に心をよせて、薬害スモン風化防止をし、スモン被害者にひとすじの光を見出しました。

長い間おつかれさまでした。ご苦労様でした。

最後までお読み頂きありがとうございます。