日本堤(にほんづつみ)番所(ばんしょ)番頭(ばんかしら)は、

町廻(まちまわ)同心(どうしん)(にしん)()亜治(あじ)

 

亜治の父、(いわ)()は元同職(どうしょく)

今は隠居(いんきょ)悠々自適(ゆうゆうじてき)の日々。

 

(ひま)を持て余しながらも、身体(からだ)

に染み付いた「探偵(たんてい)(だま)(しい)だけ

旺盛(おうせい)

 

 

現役(げんえき)の頃から、

岩志と(まち)奉行(ぶぎょう)大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のかみ)

とは、入魂(じっこん)の仲。

 

更に、ここだけの話。

岩志は(なん)と、越前守を通じ

時の将軍徳川(とくがわ)吉宗(よしむね)とも、(かお)()

()りの仲。

 

 

こんな、ご隠居なんて。

江戸(えどひ)(ろし)と言え、他にいない。

 

三人が、顔を合わす場所は。

吉原(よしわら)遊郭(ゆうかく)でも特別な、総籬(そうまがき)

十文(じゅうもん)字楼(じろう)」の(はな)れ。

 

 

 

浅草寺(せんそうじ)五重塔(ごじゅうのとう)での、騒動(そうどう)

から(しばら)くして。

季節は文月(ふみづき)(7月)

 

 

 

 

 

すず(・・)()()は、

長屋を出発する前に。

番所の亜治から、

 

「これから向かう先は、吉原

 遊郭の中。着くまで駕籠(かご)

 ら(そと)を、見てはならぬ」

 

と、言われていた。

 

そうは言われたものの。

もも(・・)時折(ときお)り、外の様子を

盗み見していた。

 

 

駕籠は、たいそう立派な

妓楼(ぎろう)の前で停まった。

 

(まが)()上の看板に「十文字楼」

の文字。

 

 

もも(・・)が、

 

すず(・・)(ねえ)さん。ここは、前に

 一度来た。あの三の膳(さん ぜん)

 食べた遊郭よ。また来れた

 なんて、嬉しいね」

 

 

二人は、渡り廊下を。

幾度も曲がりながら進み、

やがて庭に出て。奥の離屋に

案内された。

 

 

廊下を、幾つも曲がり。

ようやく着いたのが大広間。

 

 

 

 

 

今日も。

前回にも増して豪華な、

「三の膳」が目の前に。

 

 

 

大広間に居たのは。

隠居の(じい)さんと、亜治。

そして、以前あった事のある

町奉行所の大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のか)()

 

もも(・・)が、

 

「私たち饅頭(まんじゅう)姉妹の、

 も( ・)()すず(・・)です。覚えて

 らっしゃいますか」

 

と、少し嫌味(いやみ)っぽく挨拶。

 

 

すると、不透(すかさず)

 

「おお、吉原(いち)島原(しまばら)(いち)

 太夫(たゆう)であったか」

 

と、越前守が応じた。

 

 

すると、亜治が。

 

「今に、もっと驚くことが」

 

と、真面目(まじめ)な顔になった。

 

 

そこに着流しで現れた

一人の、お(さむらい)

 

 

越前(えちぜん)殿(どの)、ご足労(そくろう)をお掛け

 したな」

 

と言って、上座(かみざ)に着席した。

 

 

すず(・・)は、上座に座る侍の。

(そで)御紋(ごもん)が「(あおい)家紋(かもん)

だと知り。

 

「もしや、上様(うえさま)

 吉宗(  よしむね)(こう)(さま)?」

 

と、(つぶや)いた。

 

 

 

 

 

殿(との)、この姉妹。偶然にも、

 浅草寺(せんそうじ)に居合わせ。例の

 (にお)(いぶ)(くろ)義兄(ぎけい)から受取った

 次第(  しだい)

 

「この女子(おなご)の機転で、義兄

 の身元が世に知れること

 なく落着(らくちゃく)。是非褒美(ほうび)を」

 

と、越前守が言った。

 

 

すずは、越前守を前に。

 

「五重塔から落ちて死んだ

 お(さむ)(らい)息を引き取る直前、

 『オオオカ様に』と言って

 匂袋を差し出したが。

 大岡(おおおか)越前守様のことでし

 たか」

 

と。

 

気になっていた、あの事を

(たず)ねた。

 

 

すると、

越前守が答えるのを(せい)して。

 

吉宗公、自らが。

 

「いや、それは紀州(きしゅう)(なまり)で。

 『オレハヤラレタ』と、

 言ったのじゃ」

 

と。

お答えになったのであった。

 

 

あの日、

五重塔から突き落とされた

男が、すず(・・)に渡した「(にお)(いぶ)(くろ)

 

すず(・・)は、瞬時に「(こう)沈香(ちんこう)」の

(かおり)だと分かった。

 

 

この香、そんじょ其処(そこ)らのに

あるものではない。

大名の奥方(おくがた)か、公家(くげ)の奥方だ

けが使う貴重な香木(こうぼく)

 

もっとも、近ごろでは。

吉原や島原の花魁(おいらん)や太夫の

間で、流行(はやり)だとか。

 

そもそも「紅沈香」って、

どんな香りと問われて。

ずばり、こんな香りと表現は

難しい。

 

(あえ)て言えば。

 

「甘く、酸っぱく、辛く、

 苦く、塩辛い味の香りが、

 複雑に(から)んだ香木(こうぼく)の香り」

 

とでも。

 

 

すず(・・)にとって。

この香りが、母の想い出で

あった。

 

そして何故か。もも(・・)には、

その想い出は無かった。

 

 

後日すず(・・)が、

ご隠居の(じい)さんから聞いた

話によると。

 

「匂袋に、印顆(いんか印章)が入って

 いた。それは、吉宗公と

 腹違いの(義兄)(側室の子供)

 を示す物」

 

「吉宗の国元、紀州(きしゅう)徳川家は

 相続争いが絶えず。それが

 江戸幕府にまで(るい)が及ぶ

 状況に発展」

 

「それを案じた幕府()重鎮(ゅうちん)

 が、配下に暗殺を指示」

 

「命令を受けた殺し屋が。

 吉原帰りの義兄を五重塔

 に誘い出し、首を絞め突き

 落とした」

 

 

「同心の亜治から知らせを

 受けた越前守は、寺社(じしゃ)奉行(ぶぎょう)

 と連携(れんけい)

 

「日本堤番所から遺体と

 印顆(  いんか)を引き取り。秘密(ひみつ)()

 処分。幕引きを図った」

 

これが事件の真相であった。

 

 

 

浅草寺(せんそうじ)雷門(かみなり)(もん)前の蕎麦(そば)屋。

急な階段を上っ(のぼ)た部屋で、

隠居と双丸(ふたまる)

 

二八(にはち)蕎麦を(すす)りながら、

なにやら話し込んでいる。

 

 

 

 

「ご隠居よ。江戸の町には

 (ごく)悪人(あくにん)が、跋扈(ばっこ)している」

 

「元同心に言うのも何だが。

 役人任せでは、庶民(しょみん)は安心

 して暮らせねえ」

 

「吉宗公が設けた『目安箱(めやすばこ)』。

 考えは立派だが、庶民の

 困り事の解決になってい

 ない」

 

「ワシは、前から考えていた

 のだが。『仕置人(しおきにん)』をやら

 ないか」

 

「ワシらに、腕力(わんりょく)は無いが

 (あた)()ある。あの(ひる)(だち)朝立(あさだち)

 に、すず(・・)()()の四人の

 女子(おなごし)(ゅう)。彼女ら知恵(ちえ)と行動

 力は、半端(はんぱ)じゃない。

 もっとも、一人は男だが」

 

 

思いもよらない、双丸爺(ふたまるじじい)

提案に。隠居は二つ返事で

賛同(さんどう)したのだった。

 

 

(つづく)

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

主な登場人物(適宜掲載)。

 

(にし)(んま)(いわ)()。元・町同心。隠居探偵。

▶鰊真亜治(あじ)。息子。南町奉行所の町同心。

鈴屋(すずや)双丸(ふたまる)。岩志の友人。長屋の大家。

大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のか)()(みな)(みま)()行所の町奉行。

(へい)()。岡っ引き。

徳川(とくがわ)吉宗(よしむね)。8代将軍。

▶すず。饅頭屋の看(本当)姉妹(は姉弟)の姉。

▶もも。饅頭屋の看(本当)姉妹(は姉弟)の妹(弟)。

(ひる)(だち)。次女、平尾宿の女郎。

朝立(あさだち)。三女、谷中の女郎。

▶ウニ。岩志の家内。

 

■本作は、フィクション。

登場する地域・人物・組等の名称・

写真イラスト等は、実在のと無関係。

諸制度や時代考証などの齟齬、ご容赦。

 

■添削・校正なしで配信。誤字脱字ご容赦。

 

鰯の頭

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆