吉原遊郭の総籬の中でも、
特別な「十文字楼」。
ナニが特別か、と言えば。
なにしろ、時々お忍びで。
「将軍様」が御出に。
立派な大奥があるのに。
と思うのは、庶民の嫉妬。
万が一にも「お手付き」の
栄誉に与れば、一気に大奥
の奥女中の座も夢ではない。
昨年の晩秋。
十文字楼に吉宗公がお忍び。
お相手したのが「夕霧太夫」。
大奥入りの話があったが、
病弱な太夫。これを辞退。
その折に。
江戸城から、大量の反物の
進物が太夫の元に届いた。
反物は暫く、そのまま太夫
の部屋に置かれていたが。
ある晩、
妓楼に盗賊が入り、進物の
反物の全てが持ち去られた。
それが、一月ほどして。
どうした訳か、両国橋脇の
双丸が所有する長屋の
裏木戸に、投げ込まれていた。
双丸は瓦版で、
「十文字楼に盗賊」の一件を
知っていた。
それで、十文字楼の番頭へ
直ぐに持参したのだった。
夕霧太夫の元に戻った反物
は再び、そのまま太夫の部屋
に積み置かれた。
太夫が河豚の毒に中り、
生死を彷徨っていたとき。
反物の間から、
一冊の冊子が眼に留まった。
看病に来ていた姉に、
「その冊子は、この反物を
届けてくれた人の物」
「確か、両国橋脇の双丸と言
うお方。お姉さんから、必
ず返して」
と言って、息を引き取ったの
であった。
■
実際に悪遊が。
「仏像」に書かれた事柄と、
同じ意図の行為を実行した
かは。
今となっては、定かで無い。
だが当時。
「外題・仏像」を読み終えた
近松門左衛門の胸は、激しい
不安と恐怖に襲われた。
そのとき既に。
悪遊は江戸に向かって、
上方を出立していた。
門左衛門は、
江戸の人形座「俵屋左衛門」
宛に。
特急飛脚便を送った。
文には、
「万一、悪遊が人形座内で
死亡することがあれば、
手に握られた紙切れを、
周りに知れることなく
回収願う。謝礼は追って
相談」
と、書かれていた。
文は、悪遊の江戸到着よりも
早く。
人形座の左衛門の手に、渡っ
ていた。
人形座で、死亡事件が起きた
とき。
左衛門は、第一発見者から
通報を受け。
一早く駆けつけたが、
遺体の手には何も無かった。
近松門左衛門からの「謝礼」
を期待した左衛門。
門左衛門宛に、
「遺体の手には、何も無い」
と、
文を返していた。
更には、このような。
文のやり取りの一斉を、
番方に話すことは無かった。
■
日本堤番所頭の鰊真亜治か
ら「冊子・仏像発見」の知ら
せが、南町奉行所に届いた。
親父の岩志なら直接、奉行へ
の報告が可能なのだが。
亜治は、そうは行かない。
報告相手は、上司の与力殿。
与力の、吉良麹乃介。
「松の廊下刀傷事件」で
有名な、吉良上野介の縁者。
大石家が「お家お取り潰し」
に対して、何故か吉良家は
難を逃れ身分は「旗本」の
まま。
この麹乃介も、また嫌な奴。
「冊子・仏像発見」を、
自分の手柄にすべく悪知恵。
事もあろうに、
「両国橋脇長屋の大家を、
運上金の脱税の疑いで。
家宅捜査したら、冊子を
発見。この品は昨年、奉行
殿が探していたものでは」
と、
大岡越前守に報告したのだ。
更に、
「大家の双丸なる者。
遺産相続税も払わず、
三日にあげず妓楼通い」
と、
悪人扱いに。
しかし越前守は、
既に事実を掌握済み。
奉行所へ来る前の早朝。
岩志から、事の仔細を聞き
及んでいた。
翌日、
「岩志殿。冊子を読んだが、
今では、既に意味の無い物」
本件の捜査は打切り」
「お歯黒溝の斬殺事件は、
怨恨か窃盗絡みだろう。
与力には、その線で捜査し
ろと伝えてある」
と。
■
月日が経って、閏如月。
岩志が急な階段を上ると。
双丸が既にお銚子二本を、
空けていた。
「双丸さんよ。何か変わった
話がないかい」
「オヤ、ご隠居」
「今日は爺と呼ばないのか」
「なら、面白い話を教えて
あげよう」
と、話しを切り出した。
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主な登場人物(適宜掲載)。
▶鰊真岩志。元・町同心。隠居探偵。
▶鰊真亜治。息子。南町奉行所の町同心。
▶鈴屋双丸。岩志の友人。長屋の大家。
▶大岡越前守。南町奉行所の町奉行。
▶ウニ。岩志の家内。
▶平次。岡っ引き。
▶紀乃姫太夫。傀儡女(人形浄瑠璃師)。
▶近松門左衛門。劇作家。
▶悪遊。劇作家。近松の影武者。
▶吉良麹之介。南町奉行所の与力。
▶徳川吉宗。8代将軍。
■本作は、フィクシン。
登場する地域・人物・組織等の名称・
写真イラスト等は、実在のものと無関。
諸制度や時代考証など齟齬は、ご容赦。
■添削・校正なしで配信。誤字脱字ご容赦。
鰯の頭
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