町同心の亜治が、
「遊女の遺品」だと言って、
双丸に渡した品は。
瓦版大の、風呂敷包み。
隠居の岩志が、
「ちょっと、待った」
「双丸さんよ、お主この女子
を、本当にご存知ないのか」
「それに、亜治よ」
「仏が亡くなる前に、何か
双丸との関わりを話して
いないか」
と、質した。
問われた双丸、
「衣装からして小格子か
精々、半籬の遊女」
「こんな年増の遊女。ワシは
知らん」
と、双丸。
すると亜治が、
「死んだ女。こんなことも」
「この包、総籬の太夫から
預ったばかり」
「名は、夕霧太夫。私の実妹」
「妹は、つい先日。河豚に
中たり死去」
「そのとき枕元で、これを
両国橋の双丸さんに渡し
て、と言い残した」
と。
「矢張りなぁ。コラ双丸爺。
お前、ワシに内緒で。あの
夕霧太夫の居る総籬に出
入りしていたとは」
風呂敷包みを開くと。
中には、分厚い冊子が一冊。
表紙に「外題・仏像」の文字。
外題「仏像」の文字を見て。
双丸にも、亜治にも、
勿論のこと岩志にも。
それが何なのか、
即座に察しが付いた。
外題とは、
上方で歌舞伎狂言や浄瑠璃
などの題名のこと。
江戸では名題と言う。
つまり、一年前。
彼らが、必死に探し求めた。
亡き悪遊の遺作「仏像」の
冊子原稿なのだ。
■
< 一年前を回想 >
昨年の卯月。
吉原遊郭の総籬「十文字楼」
の離れで。
近松門左衛門が、
紀乃姫太夫を前に。
「悪遊の遺灰と一緒に、燃や
して道頓堀川へ流してし
もうた」
と、嘯いていた。
当時、
悪遊殺しの「真犯人は近松」
と、目星を付けた鰊真岩志。
南町奉行の大岡越前守と
相談し、紀乃姫太夫に一肌
脱いで貰った。
岩志と越前守が採った策は。
「他殺を自死」
逆に「自死を他殺」
に見せ掛けた。
その手口が書かれた、物的
証拠の発見。
即ち、
手口が書かれているハズの
『仏像』なる遺作の存在を
近松門左衛門の口から。
引き出すと言うもの。
近松門左衛門が、
南町奉行所へ出頭。
お白州の茣蓙に座った。
「自死の理由は、何か」
「本人から病を苦に、
と聞いている」
「殴打殺人を装った、手口を
聞いているか」
「何も聞いていない」
「自死した悪遊から、
何か預っていないか。
遺作らしき品は」
「何も預かっていない」
「おぬしと、故人の関係に
影武者の噂があるが」
あくまで師弟関係」
「おぬしと、紀乃姫太夫との
関係は」
「これも、あくまで師弟関係」
白州での問答は、膠着。
なにしろ、奉行所側には。
番所からの、物的証拠や目撃
情報など。何も無い。
流石の大岡越前守も、
「近松殿、遠路ご苦労であっ
た。再出頭は明後日。それ
まで、江戸に留まられよ」
と、
伝えるのが精一杯だった。
越前守は、吉原の総籬
「十文字楼」に鰊真岩志と、
日本堤番所頭の同心、鰊真
亜治を呼んだ。
「人形座で死んだ悪遊なる
者の死因は、現段階では
自死とも他殺とも判定し
がたい」
「他殺を裏付ける、証言や物
的証拠が未だ無い」
「他方、自死を推定する根拠
は。岩志殿の憶測と、太夫
の非公式な証言。そして、
近松門左衛門が自ら認め
ている幇助」
「門左衛門は、呼び出しに動
じずに出頭。しかも幇助で
はなく、死後の関与だけ。
太夫の言い分を、全否定し
ている」
「どうやら、本件は白紙に戻
ったようだ」
「同心の考えを、聞かせても
らおうか」
と、
越前守が、意見を求めた。
奉行からの突然の名指しに、
亜治は狼狽。
何しろ、吉原の小格子妓楼は
知っているが。総籬、しかも
超有名な「十文字楼」。
足を踏み入れてから、まだ
身体の何処かが震えている。
なんとか、声を絞り出し。
「私の上司の与力殿からは、
他殺の線で容疑者を探す
よう言われています」
と、
なんの変哲も無い、返答。
「さて、岩志殿。お主なら
これからどうする」
「越前殿。私には太夫が出鱈
目を言っているとは、思え
ませぬ」
「門左衛門は、物書きが本業
の曲者。平然と嘘をついて
いるやも」
と、言いながら。
紀乃姫太夫が岩志に話した、
一部始終を再現した。
それは、
上方文化の主導権争いの話。
井原西鶴と近松門左衛門は、
上方を代表する二大作家。
「庶民の生きざまを描く」と
いう点で、共通していた。
西鶴は、
「好色一代男」や「日本永代
蔵」など現実的な描写。
近松は、
「曾根崎心中」や「天の綱島」。
などの抽象的な描写で。
話題作を競っていた。
近松を助けていたのが、
弟子の悪遊。
即ち、覆面作家。
悪遊の作風には、不思議な
人情観があって。それが近松
作品の真髄になっていた。
ところが、悪遊の病が進行
し思うように書けなくなっ
て来ていた。
死期を悟った悪遊は師匠の
近松と、ある約束をした。
それは、
江戸浅草公演の「蝉しぐれ」
を、悪遊の自作として世に出
して欲しい。
代わりに、
「外題・仏像」を、師匠に
捧げたい。と言った。
その作品には、
「殴打殺人に見せ掛けた
自死の手口」
が、書かれていた。
紀乃姫太夫は、
「あの方は、時代の被害者な
のです」
と言って、涙した。
語り終えた、岩志。
「ここは一度、門左衛門を
泳がせては」
「確かに。だが奴は大阪。
放つとなれば、見張りが
難しい。江戸に引き留め
る、妙案がないものか」
すると、鰊真岩志。
「越前殿。良い手が一つ。
ここは紀乃姫太夫に、
一肌 脱いで貰いましょう」
と、ポンと膝を叩いた
(つづく)
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■
主な登場人物(適宜掲載)。
▶鰊真岩志。元・町同心。隠居探偵。
▶鰊真亜治。息子。南町奉行所の町同心。
▶鈴屋双丸。岩志の友人。長屋の大家。
▶大岡越前守。南町奉行所の町奉行。
▶ウニ。岩志の家内。
▶平次。岡っ引き。
▶紀乃姫太夫。傀儡女(人形浄瑠璃師)。
▶近松門左衛門。劇作家。
▶悪遊。劇作家。近松の影武者。
■本作は、フィクシン。
登場する地域・人物・組織等の名称び
写真イラスト等は、実在のものと無関。
諸制度や時代考証など齟齬は、ご容赦。
■添削・校正なしで配信。誤字脱字ご容赦。
鰯の頭
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