「能登半島地震発生」

 

一夜明けて、

被害状況が徐々に明らかに。

 

まだ余震が続いています。

とても心配です。

 

 

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妄想小説

 

隠居探偵 Ⅲ

 

 

配信 迫る 1月5日

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・世界最小PC/GM製

・ワイヤレスキーボード

・ワイヤレスマウス

・32inchモニター(TVチューナー内蔵)

・10inchタブレッ(キーボード分離型)

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上記のアイテムが、

ブログ執筆の必需品。

 

モニターは常に23画面。

PCとタブレットとスマホ

をネットで共有モードに。

よって、

原稿(microsoft office word)は、

どれからも打込み可能。

 

これだけで、

過去(ブロ)()索や情報をググる

速度が格段に向上。

 

 

江戸の町。

武士も庶民も、風呂好き。

 

あちこちに「銭湯(せんとう)」。

名の通り、(せん)8文(260円)が入浴料。

 

元禄(げんろく)の頃までは「男女混浴」

が当たり前だったのに。

どうしてなのか、吉宗(よしむね)(こう)

「混浴禁止令」の御触(おふ)れ。

 

そこは、(いき)な江戸っ子。

洗い場に、

三尺の衝立(ついたて)を置いただけ。

 

銭湯は、どこも薄暗い造り。

そこで、他人への配慮から。

独自のマナー。

 

冷者(ひやもの)でござーい」

 冷えた体で、すみません。

田舎者(いなかもの)で、ござーい」

 (身体に)れたり、お湯を掛けてしま

 ったとき。

「お先に」、「お早い」

「おゆるり」、「お静かに」

誰もが、声掛けをする。

 

 

銭湯は。

武士の家族も、町人の家族も

一緒に利用。

洗うのを手伝う「(さん)(すけ)」は。

男も女も洗う。

 

それと、古くから銭湯は。

湯屋(ゆや)」と呼ばれた遊興施設。

 

明暦(めいれき)3年(1657年)に、幕府が禁止する

までは、「湯女(ゆな)」がいた。

湯女は、昼は客の体を洗い。

夕方からは、オモ(男性客の)テナシ。

 

 

銭湯の二階で男は碁や将棋。

女は茶飲み。社交場なのだ。

 

夏は浴衣(ゆかた)姿だが、少し寒いと

上から丹前(たんぜん)羽織(はおる)る。

 

丹前の元々の由来は。

吉原の遊女「勝山(かつやま)」が、

湯女(ゆな)の頃。湯屋の前に、

越後の(ほり)(たん)()(のかみ)の下屋敷。

勝山目当(めあ)てに、湯屋通いする

男衆が羽織った(はん)(てん)姿を。

丹前(たんぜん)と呼んだ。

 

 

 

この時代の税金のことを。

ざっくり。

 

納税者は、主に農民。

年貢(ねんぐ)と言われる()地使用税。

*農作物の出来高に関係ない。

 

商人(事業主)は、「運上(うんじょう)(きん)冥加(みょうが)(きん)

と言われる営業税。

 

町人の中で、奉公人(ほうこうにん)や無職の

者。そして、寺・神社関係者

は納税義務なし。

 

勿論、武士には義務なし。

 

 

不公平と言えば、不公平。

 

されど、この時代の人口の

「士農工商の構成(成人人口)比率」

に注目あれ。

 

・農民 85%(60%)

・商人  5%(10%)

・武士  5%(10%)

その他(奉公人・無職) 5%(20%)

 

数値は全国平均。()内は江戸町内。

商人には、個人の商人・工人を含む。

江戸の武士には、浪人も含む。

 

 

お分かりのように、国民の

圧倒的多数が農民であった。

 

農民から(しぼ)り取ることで、

税収が(まかな)えていたのだ。

 

 

江戸の町を知る上で、

「ヤクザ」の存在を抑えて

おかねば。

 

その実態を(さぐ)文献(ぶんけん)が、

(こと)(ほか)少ない。

さすが、裏街道(うらかいどう)渡世(とせい)

 

 

かの有名な「国定(くにさだ)(ちゅう)()」は、

江戸後期の侠客(きょうかく)

清水(しみず)次郎(じろち)(ょう)」に至っては

幕末から明治に掛けての

博徒(ばくと)で実業家。

 

 

江戸時代のヤクザの成り立

ちを。

かなり独断と偏見に満ちた

記述を容赦願いたし。

 

主たる生業(なりわい)で、二種類に。

一つが、的屋(てきや)集団。

露店(ろてん)が稼業。親分子分の関

係で組織され、一定の縄張

り「庭場(にわば・シマ)」を有し。

商売の用心棒代「みかじめ

料」を徴取。

 

他方は、博徒(ばくと)集団。

名の如く、賭博(とばく)が稼業。

すなわち、「博奕(ばくち)()ち」。

 

「ヤクザ」の語源は。

歌舞伎役者のような、派手

な格好をした無法者のこと

を「カブキモノ」とか「ヤ

クシャ」と呼んでいた。

この「ヤクシャ」が(なま)って

「ヤクザ」になった説。

 

鰯の頭は、この説を信じて

いる。

『花札のオイチョカブ』で

一番悪い()(下桁)ブタ(がゼロの)」。

 

八「(すすき)

九「菊」

三「桜」

この三枚の合計は、二十。

まさに(合計)ブタ(20下桁)(がゼロ)

 

絵柄は派手(はで)だが、

役立たずの「()()()

これが転じて「ヤクザ」。

 

博徒のことを「長脇差(ながどす)

渡世人(とせいにん)・遊び人・極道(ごくどう)など

とも。

 

博徒が次第に組織化され。

江戸中期になると、

半農博徒や宿場博徒など

集団を形成。

 

貸元(かしもと)が、いわゆる親分。

一定の縄張りを持ち、

賭場(とば)を開催。

その手数料、

寺銭(てらせん)カス(上方では)リ」を撤収。

 

(だい)(かし)は、親分の下で賭場を

実際に管理。

中盆(なかぼん)はディーラー。代貸が

兼ねることも。

一家の兄貴分(あにきぶん)が務める。

 

出方(でかた)は、お茶を出したりの

使い走り。

その下に更に、

三下(さんした)と言われる子分衆。

 

この頃は、「丁半(ちょうはん)」など

(サイコロ)賭博(とばく)が中心。

 

 

 

江戸中期以降、

増加したのが「無宿者(むしゅくもの)」。

 

欠落(かけおち)(逃亡)、勘当、追放な

どにより。(にん)(べつ)帳から削られ

た者の総称。

 

彼らは、

士農工商の身分に属さない(はぐ)れ者。

これらを雇ったのが、

ヤクザの親分。

 

江戸の後期には浪人が増え、

ヤクザの用心棒として雇用

された。

 

 

本来ヤクザを取り締まる

のが、町奉行所のハズ。

 

だが町同心や岡っ引きが

詰める「番屋(ばんや)」の力では。

容易に手が出せない、組織が

実情。

 

 

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300(江戸時代)年前(・中期)の江戸八百八町。

妄想小説が(ゆえ)

奇想天外(きそうてんがい)奇々怪々(ききかいかい)

言葉(づか)いも、時代考証(こうしょう)も。

(かま)いなしの、展開。

果たして、サスペンスか人情

ものか、それとも・・・

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■「隠居探偵 Ⅲ」の

主な登場人物(適宜掲載)。

 

(にし)(んま)(いわ)()。元町同心。隠居

探偵。

▶鰊真亜治(あじ)。岩志の息子。

南町奉行所の町同心。

大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のか)()南町奉行所

 の町奉行。