「咲さん、よくやったわ。
もう釈放よ。自由の身」
「貴女の今の顔を、知っているの
は琢磨優だけ。スマホは私が引
き継ぐわ。琢磨とは連絡を絶つ
こと」
「ペンダントとイヤホンを置い
て、ここを出ていいわ」
「ただし、このアンクレットは、
常に身に着けてね。貴女を守る
ためよ」
こう言って浜まりは。
都内某所から須崎咲を釈放した。
◆
ここは神田の俣阿野探偵事務所。
古びた安っぽいソファーで、
話し込むのは。
俣阿野と京歌と浜まりの三人。
「虎ノ門のご自宅と雲泥の差ね」
と浜が、少し眉をひそめた。
「私は懐かしいわ。ここに押掛け
強引に相棒を志願してから、
もう4年経つのね」
と、京歌は感慨深そう。
季節は、四月に入っていた。
世間では、マスク着用が緩和。
徐々に、マスク姿が減ってきた。
三人も、マスクをしていない。
「それにしても二人は、よく似て
いる。私ですら間違いそう」
と、俣阿野。
三人のスマホ画面には、琢磨優の
居場所がマップに点滅している。
そして時折。
仲間との会話が、イヤホンから鮮
明な音声で聴きとれる。
咲が琢磨に忍び込ませた、
5ミリ角の黒のチップの正体は。
GPS搭載の、世界最小の盗聴器。
ノイズを除去し、微細な音声も
キャッチ送信できる代物。
発信電波は、通常の探知機で発見
されることは無い。
難点は、内臓電池の寿命が二週間
程度。
その間に、Z会のアジトもしくは
取引現場の特定が、三人に課せ
られた任務。
京歌は、咲のスマホを浜から受け
取り、琢磨にメール。
文面は、
「野村が買っていたものと、同じ
ものが欲しい」
直ぐに、返事が来た。
「了解。四日後、同じホテルで。
キャッシュで百万円」
と、書かれていた。
「了解しました。先日プレゼント
したネクタイで来てね」
と、返信した。
琢磨優の居場所は、横浜市西区
福富町の雑居ビル。
夕方までは殺風景なビルだが。
夜の帳とともに、クラブやスナ
ックのネオンで一斉に活気づく。
この二日間は、GPSログが動かない。
イヤホンから、琢磨の声が断片的
に聞こえてきた。
「你好。新たな顧客だ。明後日ま
で用意してくれ。取りに行く。
代金は四日後の夜。七十万円」
どうやら携帯で品物を注文して
いるようだ。差額30万円が懐?
相手の声は、よく聞き取れないが。
中国人らしい。しかも女性?
二日後、GPSログが動きだした。
背広の胸ポケットの電波をキャ
ッチしている。
ログは一度、南へ右折しただけ。
百メートル移動して、停まった。
地図アプリを拡大すると、そこは
横浜最大の高級キャバクラ「R」
一般的なGPS機能は、
天空の人工衛星との電波交信。
平面上の位置は判るが、高さは判
らない。
だが、この追跡機能付き盗聴チッ
プの凄いのは、地上からの高さも
キャッチする。
キャバクラ「R」は、二階から
四階までの3フロアー。
ところが、琢磨が留まったのは
五階。
おそらく、この階のどこかでブツ
を受け取ったのであろう。
イヤホンからは、微かな雑音が聞
こえるが。会話らしい話し声は聞
こえない。
そして、再び元の雑居ビルへ動い
た。
メールから四日後の夜。
ヨコハマグランド インターコン
チネンタル ホテルのクラブラウ
ンジに、咲に扮した京歌の姿があ
った。
琢磨が席に近ずくと、京歌は慌て
て身振り手振りで、スマホを見る
ようにサインをした。
琢磨がスマホを開くと、咲からの
メッセージが。
そこには、
「誰かに尾行されている。そのま
まNo880で、待っていて。
部屋のドアは開いている」
の文字が。
琢磨は直ぐに部屋に向かい、ドア
を開くと。
ソファーに咲が、座っていた。
「いつの間に」
と、琢磨が声を発すると同時に、
前後左右から数人の男に、身体の
自由を奪われた。
咲に扮した浜は、琢磨に近づき。
胸ポケットとネクタイの裏地か
ら黒いチップを引きはがした。
同時刻に、キャバクラ「R」の
ビルの5階の部屋に、武装警官
二十人が踏み込んでいた。
◆
この日、
「麻薬及び向精神薬取締法」
(麻向法)に則り。
神奈川県警と厚生労働省の所轄
下の麻薬取締官(麻薬Gメン・
マトリ)の合同チームによって、
「違法薬物所持」の現行犯で逮捕
されたのは。
琢磨優の他、5人。
いずれも、Z会の下っ端。
この程度では、「蟻の一穴」には
ならない。
情報収集に於いて、極めて確度が
高いのが「潜入捜査」。危険度
も高い。
幸い、整形後の須崎咲の顔を知
る者は。
留置所にいる琢磨だけ。
警視庁公安部の鬼頭史郎は。
最高検察庁長官の伝で、琢磨の
携帯記録を入手。
覚醒剤の売買に関わった一人の
中国人を特定した。
その中国人は「孔月花」。女性。
孔月花は、活動制限のない在留資
格つまり「居住資格」を有する
34歳。配偶者は日本人男性。
夫の三浦義和は、横浜元町に店舗
を構える輸入雑貨商「三浦商会」
の社長。
毎年6月初旬に横浜で開催され
るイベント「横浜開港祭」。
主催は、横浜市・横浜商工会議所
・横浜観光コンベンションビュー
ロー・横浜青年会議所。
横浜港の開港は安政6年と古い。
「みなとみらいエリア」を中心に
多くの催しが開かれる。
例年、花火が打ち上げられ。
夏の始まりを告げる、風物詩に。
今年はコロナ禍終息を祝い、停泊
中の豪華客船「ダイヤモンド・プ
リンセス」を一晩貸し切って、
仮面舞踏会が開かれる予定。
浜まりと京歌は、この船上舞踏会
を利用し。
横浜Z会への潜入を実行した。
(つづく)
◇◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇
■主な登場人物(適宜掲載)。
▶俣阿野志隈。私立探偵。極秘諜報員。
▶浜まり。弁護士。ヤメ検。裏検。
▶京歌。元相棒。志隈の妻。
▶白木唯。前相棒。映像クリエイター。
▶鬼頭史郎。警視庁公安部/外事課・管理官。
▶須崎咲。熱海のドン・ファン事件の容疑者。
▶野村助平。熱海のドン・ファン。死亡。
▶琢磨優。麻薬カルテルZ会の一味。
▶孔月花。麻薬カルテルZ会の一味。
▶三浦義和。輸入雑貨商社長。
■本作品は、フィクション作品。
登場する、地域・人物・組織等の名称及び
写真・イラスト等は。現存のものと無関係。
法規制度や時代考証などの齟齬は、ご容赦を。
■添削・校正なしでの配信につき、誤字脱字
の程ご容赦を。
〈鰯の頭〉
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆