南北に細長い日本列島。

南から桜、北から名残(なごり)雪の便り。

三寒四温(さんかんしおん)を繰り返し、

東京にも春が近づいてきた。

 

神田駅から徒歩数分。

大通りを少し小路(こうじ)に入った、

古い五階建ての雑居ビル。

西側の二階の窓ガラスに。

陽に焼けて(かす)れた「探偵」の薄青

い文字が、(かろ)うじて読み取れる。

 

ここが、「(また)阿野(あの)探偵事務所」。

俣阿野の他に、

スタッフは誰もいない。

 

以前、自称「相棒(あいぼう)」を名乗った

二人の女性がいた。

一人は、(吉本)歌。

今は俣阿野の妻となり、

一女(いちじょ)の母親に。

もう一人は、白木(しらき)(ゆい)

新鋭の映像クリエイターとして

独立。

二人は相棒として、

極めて優秀だった。

 

京歌とは、成功報酬制

唯は、無報酬のボランティア

であった。

 

 

俣阿野の前職は、

警視庁捜査一課の刑事

十年前警察を辞め、私立探偵に。

(私立)偵としての、

(しゅ)たる仕事は身辺調査

 

同じ様な言葉に、身元調査がある

が、厳密には違う。

身元調査は、個人の経歴(バッ)素性(クグランド)

(血筋や出生、環境)の調査。

身辺調査は、対象者の他に一部周

辺の関係者も含まれる調査。

 

他方、

調査を請負う仕事に、興信所

がある。

現行の「探偵業法」では、

どちらも同法の規定下にある。

ただ探偵は(おも)に、

社会関係(行動・浮気・行方(ゆくえ)・素

行)を、尾行や張り込みなどの

外観的手法によって調査。

興信所は主に、

経済関係(就業・資産・信用)を、

電話や面談になどの内観的手法

によって調査。

 

 

私立探偵・俣阿野()(わい)42歳)

それは、世を偽る仮の姿

 

実は8年前から、もう一つ。

本当の顔を持っている。

その顔とは、

警視庁公安部極秘(ごくひ)諜報(ちょうほう)(いん)

俗っぽい言い方で、スパイ

勿論、警視庁の組織図のどこにも

存在しない部署である

 

 

令和5年も、あっという間に

二ヶ月が過ぎようとしていた。

今年に入ってからの仕事は、

身辺調査が数件のみ。

 

今日は、桜田門(さくらだもん)にでも顔を出し

てみるか。なにかアルカモ

と、(つぶや)いた。

 

言わずもがな桜田門とは、

警視庁本部庁舎のこと。

内堀通りに面した、地上18階建

て「逆くの字」のビルが警視庁。

屋上に、白と赤の三重の塔のよう

な巨大アンテナ。

TVドラマで、馴染みの建物。

 

()(わい)が十年前までいた捜査(刑事部)一課

も、ここにある。

訪ねたのは、

庁舎ビルの案内図に載っていな

い、公安部のとある部屋。

 

 

 

男が、

やぁ、(また)阿野(あの)以心伝心(いしんでんしん)か。

 いや、(じゃ)の道は(へび)かな。連絡

 しようと思っていたところだ

と、(にが)(ばし)った顔で声を掛けた。

 

俣阿野は、

春風に乗って、桜田門の方角(ほうがく)

ら。なにやら、ヘンな臭いが

 流れて来たもので

と、応じた。

 

男の名は、鬼頭(きとう)史郎(しろう)

肩書は、警視庁公安部/外事課

管理官

俣阿野とは、警視庁時代の同僚。

 

早急に、一人の弁護士に会って

欲しい。キャリア以上に辣腕(らつわん)

私も立ち会うが、場所は神田よ

り虎ノ門の方がいい

とだけ、言った。

 

 

俣阿野は捜査一課の刑事を辞め。

半年ほどして、神田に事務所を借

り私立探偵を始めた。

当時、幸か不幸かバツ一の身。

子供はいなかった。

 

辞めた直後、何気に買った

年末ジャンボ宝くじ」で、

高額の賞金を手に。

 

開業したものの、仕事は月一、二

件の「浮気調査」だけ。

(ひま)に任せて、宝くじの賞金で

ディトレード」に手を出した。

 

ハナから、市場や経済情勢が得手(えて)

な訳ではない。

あるのは、生れながらの「主観思

考」すなわち独断と偏見による

(あなが)ちな直感だけ。

 

 

ディトレを始めて一年で、

財テクに成功。

宝くじの賞金額が、二倍に。

 

欲張(よくば)」ことも、「のめりむ

こともなく。

ディトレから、手を引いた。

その資金で、完成したばかりの

虎ノ門ヒルズ・レジデンス」の

一室を購入。

 

二年前に、相棒だった(当時)京歌(28歳)

結婚

そして昨年、

同じ敷地に完成した、タワーマン

ション「虎ノ門ヒルズレジデンシ

ャルタワー」の高層階に移った。

 

俣阿野が、警視庁公安部の極秘(ごくひ)

諜報員になった経緯は国家機密。

故に割愛。

鬼頭史郎が、指令・報告の窓口

 

 

 

3月(令和5年)上旬。

虎ノ門の俣阿野の自宅に、

鬼頭が一人の女性を伴って、

訪問した。

 

部屋(50平米)の二面が、総ガラス張り。

ここが応接室。

眼下にお台場、そして東京湾。

東京タワーは近すぎて、

頭の一部しか見えない。

 

鬼頭が、

俣阿野、先日話したように奥様

の京歌さんも、一緒に会話に加

わって欲しい

と伝えると。

 

すぐに、京歌が入って来た。

一女の母となり、少しふっくらと

したが。美貌は変わっていない。

 

大きなローテーブルを挟み、両サ

イドにオフホワイトのソファー。

俣阿野と京歌鬼頭女性が。

 

彼女がスッと立ち上がり、名刺を

差し出すのに合わせ、他の三人も

立ち上がった。

女性と俣阿野夫妻の三人は、ほぼ

同じ身長。鬼頭が少し低かった。

 

ダークグレーのスーツに、

包まれたスレンダーな肢体(したい)

 

俣阿野は不謹慎にも、妻の京歌(現在30)()

一瞬、比較していた。

おそらく、身長は同じ(170cm)くらい

京歌は、クオーター(フランス人と日本人)の美形。

京歌に勝るとも劣らない美女

何よりも、双子(ふたご)の姉妹と言える

ほど()ている

 

 

女性の名は、『浜まり』。

事前に、鬼頭から。

彼女の顔写真とプロフィールが

俣阿野のパソコンに届いていた。

 

職業は弁護士。(ヤメ()

*検察官(検事)を辞めて弁護士に。

年齢32歳。(既婚・子供なし)

 

東京大学法学部卒(22歳)・第1類法学総合。

同大大学院卒(25歳)・法曹養成専攻。

司法試験合格(25歳)

司法修習考試合格(26歳)

検事採用面接合格(26歳)

横浜地方検察庁・検事(26歳)

東京地方検察庁・検事(28歳)

東京地方検察庁検事退任(30歳)

東京港区に「浜法律事務所」開設(30歳)

 

港区の仏教寺院の一人娘。

四年前に婿養子を迎え結婚(28歳)

 

まさに、

絵に描いたようなキャリア。

 

 

数日前に俣阿野が、

桜田門の鬼頭を訪ねたとき。

三つの事柄が、

持ち掛けられていた。

 

一つ目は、

弁護士を紹介」の件。

二つ目は、

京歌を諜報員に採用」の件。

三つ目は、

未解決事件への協力要請」の件。

 

鬼頭が、話し始めた。

 

一つ目は、同席の浜弁護士の件。

肩書は、ヤメ検の弁護士だが。

二年前に、検事を()したのは

表向き

実は、検察庁の最上組織の

最高検察庁/長官の指揮下の

隠れ機関に所属。隠語(コードネ)(ーム)裏検(うらけん)

メンバー」

 

検察官と弁護士の仕事は、正反

対ゆえに犬猿の仲と言われる。

大きな声では、決して言えない

が。そこを取り持つのが裏検の

主要任務。メンバーは数人

 

 

一方、警察と検察も犬猿の仲と

 思われているが。そんなことは

無い

警察が捜査し、逮捕した犯人を

 起訴(きそ)するかどうかを決めるの

は検察。()わば車の両輪

極秘諜報員スパイは便宜上

 警視庁公安部内にあるが。実態

 は警察でも検察でもない。(しいて)

 いて言えば、検察の極秘別働隊

 

つまり、俣阿野探偵が属する

極秘諜報員も。浜弁護士が属す

る裏検も、犯人(容疑者)を起訴に足りる

証拠固めの部署

()わば、必要悪として存在し

ている

 

申し訳ない。こんな話は二人に

は、釈迦(しゃか)説法(せっぽう)だった

 

ここからが大事な話

と、鬼頭は声を(ひそ)めた

 

 

(つづく)

 

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■主な登場人物(適宜掲載)。

 

俣阿野志隈。私立探偵。極秘諜報員。

京歌。元相棒。志隈の妻。

白木唯。前相棒。映像クリエイター。

浜まり。弁護士。ヤメ検。裏検。

鬼頭史郎。警視庁公安部/外事課・管理官。

 

■本作品は、フィクション作品

登場する、地域・人物・組織等の名称及び

写真・イラスト等は。現存のものと無関係。

法規制度や時代考証などの齟齬は、ご容赦を。

 

■添削・校正なしでの配信につき、誤字脱字

の程ご容赦を。

 

 

〈鰯の頭〉

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