妻アマスの方がクレオパトラより、

美貌(びぼう)で勝っていた。

それでジンジンは、(うれ)しくなった。

 

しかし、クレオパトラは。

世界の三大美女の一人に過ぎない。

あと、二人いる。

二人とは、「(よう)()()」と「小野小町(おののこまち)」。

 

             

 

今回は、妄想小説の(わく)(とら)われず。

時空(じくう)を超えて、

会いに行くことになった。

 

まず、楊貴妃のいる(とう)(中国)へ

向かった。

 

 

〈今夜の主な登場人物〉

・ジンジン(ペルシャの豪商)

 ・アマス(ジンジンの妻)

・ジンバット(ジンジンとアマスの息子)

 ・楊貴妃(唐の皇妃)

 

 

いくら妄想と言え、

インドより東へ海路(かいろ)の発想はない。

陸路(りくろ)には、すでにシルクロード

原形らしきものがあった。

 

ジンジンの家族は、

東へ向かう商隊(キャラバン)に便乗し、唐を目指

した。

 

 

唐の時代は、(中国)千年の歴史の中の。

618年から907年の289年間。

楊貴妃が生きた時代は、この内の

719年から759年の37年間

日本では奈良時代710年-794

 

 

彼女、

傾国(けいこく)の美()」と呼ばれるほど、

美しかったらしいが。

*夫の玄宗皇帝が、寵愛し過ぎ国が滅びた。

 

本名は、(ヤン・)玉環(グイフェイ)

出生は、名族いや平民の両説がある。

この時代、理想の姿態(したい)は「豊満(ほうまん)」。

 

キメ細やかな、もち肌のおたふく顔。

豊かな胸に、柔らかそうな腰つきの

ぽっちゃり体形。

日本の平安美人と、同じタイプ。

 

ただし、クレオパトラと共通なのが。

聡明(そうめい)利発(りはつ)

雅樂(ががく)(まい)で、後宮(こうきゅう)で彼女を超える

女子(おなご)はいなかった。

 

 

ジンジンの家族は、長安(唐の都)(西安)の

興慶宮(政務館)の沈香亭に招かれ、玄宗(げんそう)皇帝(こうてい)

楊貴妃から手厚いオモテナシ。

 

ジンジンは、皇帝にペルシャ絨毯(じゅうたん)を。

楊貴妃には、ダイヤモンドと最高級の

ハチミツを土産に献上。

 

 

ところと時代が変われば、美女の

基準も変わるもの

と、ジンジンは、納得した

 

 

(こと)(ついで)に、こんな蘊蓄(うんちく)を。

中国には、四大美女がいるらしい。

無論、楊貴妃はその一人。

あと一人だけ、紹介するなら。

前漢時代の(せい)(てい)皇帝の皇后(こうごう)(ちょう)飛燕(ひえん)

 

趙飛燕は、細身の美人。

そこで、こんな言葉がある。

楊肥趙痩(ようひちょうそう)」とか「環肥燕痩(かんひえんそう)

言わずもがな、ぽっちゃり(楊貴妃・本名(玉環))美人と

やせ型美人のこと。

 

 

おまけに、もう一つ。

この国にも、ヒジャブがあった。

(べに)蓋頭(がいとう)」と言うらしい。

 

使用するシチュエーションは、

結婚式

花嫁は式の間ずっと、絹製の赤い布を

頭から被り、顔を隠すと言う。

漢の時代までは、式が終わり部屋に

二人きりになって。新郎が竹竿(たけざお)

紅蓋頭を外し、新婦の顔を初めて

見たと言う。

 

 

さて、明日は帆船を偏西風(へんせいふう)に乗せ。

日本海を渡り、

(わ()(日本)()の「小野小町(おののこまち)」を訪ねることに。

 

 

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小説の設定は、オスマン帝国やペルシャ帝国

やローマ帝国。はたまた、中世ヨーロッパの

国々。

妄想小説ゆえ、どこが舞台なのか。

その日の、キーボード任せ。

 

*ヒジャブ:イスラム教の経典(コーラン)

 では、女性は顔をヒジャブ(スカーフ)

 で覆うことが義務と記されている。

 

歴史的事実との齟齬・時代考証の矛盾は。

妄想小説の特権として、ご容赦願うなり。

 

39話を予定。

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