鰯の頭のmy Pick

 

 

眞一郎ら一行、六人。

勘定(かんじょう)組頭(くみがしら)の二名。

町方(まちかた)同心(どうしん)の二名(一人は眞太郎)。

通訳の冰冰(ピンピン)

 

東海道は、馬旅。

大阪からは、瀬戸内海を経由し

ての船旅。

 

無事、長崎・出島に着いた。

 

出島内の旅籠に、四人を残し。

眞一郎と冰冰の二人が、向かっ

たのは。「清国商館」。

 

 

眞一郎は、「南蛮吹き」技術。

えりは、「雑技団」技術。

 

 

其々が、技術習得を目指し。

清国・上海に向かった、あの日

 

出航が寛永(かんえい)15(1638)()卯月(うづき)2(4月)6日。

大嵐で船諸共(もろとも)、暗黒の海に投げ

出されたのが、29日。

 

今、ときは。

(かん)(ぽう)元年(1741年)()無月(なづき)2(6月)9日。

 

今を、起点に考えるなら。

なんと、103年前の出来事にな

る。

 

 

単純に、計算すれば。

眞一郎は、126歳。

冰冰は、121歳。の勘定に。

 

 

「清国商館」を訪ねた二人。

 

凡そ百年前。商館長・呉亜綸(ウーヤンルン)

る人物の存在の、有無(たず)ねた。

 

しかし。誰の記憶にも、何処にも

記録が無かった。

 

 

冰冰は、

淡い期待が、泡と消えたこと

愕然(がくぜん)

(おのれ)の過去を示すもの」が、

何も無いことで。意気消沈(いきしょうちん)した。

 

 

眞一郎は、気落ちした冰冰の肩

を抱き。

 

「これから我らは、上海に向か

う。二ヶ月余り滞在するが。

一緒に日本に戻るか、上海に

残るかの判断は。冰冰に任せ

と、言った。

 

 

あの当時に比べ、便数が格段に

増えていた。

運よく、三日後に。

一行は、上海に向けて出港した。

 

 

 

航海日数は、(偏西風)と波次第。

順調なら、5~6日。

上海まで直線では、二百数里。

真っ直ぐ進めば、四日で着くが。

 

実際は季節によって。海流の流

れの向きと、強さが違い。風の向

きも、速さも違う。

それでも、十日は要さない。

 

 

この度の、眞一郎らの特命任務

()摘む(つま)と。

 

「清国の国民の生活調査」

 

・場所:上海の町の片隅。

・期間:二ヶ月。

・方法:対面(接触)

・対象:可能な限りの階層。

・項目:①衣食住②知識教育

    ③宗教観④異性関係

    ⑤気質(国民性)

 

一見、仔細(しさい)のようだが。極めて

大雑把(おおざっぱ)な内容。

冰冰を除く、五人の個人的な感

想の集約。である。

 

 

(指示)」を出した将軍・吉宗は。

「幕府お抱え学者が提出する」、

最もらしい意見書より。

個人的な感想」の方が、真実

近いと、考えた。

 

そこで、特命隊(眞一郎ら一行)

は、上海の庶民に溶け込み。情報

の収集に、当たることになる。

 

 

面白いことに。

息子・眞太郎以外の、(つら)(がま)を良

く見ると。どことなく、清国人

ぽい。

 

実は。

これが、この度の選考基準

 

 

 

もう一つ。

眞一郎だけが知っている、

任務があった。

 

それは、帰国する際に。

「清国人を一人、連れ帰る」と言

うもの。

つまり、相手の「承諾(しょうだく)の有無に

関係なく」である。

 

その際、必要なら。

誰か一人を、「清国に置き去りに

する」を、良しとする内容。

 

 

出航から、六日目。

一行が乗った船が、上海港に着

いた。

 

 

(つづく)

■登場人物の紹介は、適宜掲載。〈年齢は数え年〉

源平眞一郎38歳。南町奉行所・

与力(特別顧問)。「全商」首領。

徳川吉宗。8代将軍。

えり33歳。「大江戸娯楽所」首領。

 「座・南京豆」の演出・プロデューサー。

呉冰冰33歳。清国商館長の娘。

「嬋」相棒。えりと〇×愛。作曲家。

▶呉亜綸。清国商館長。冰冰の父親。

源平眞太郎17歳。南町奉行所・同心。

眞一郎の長男。

 

■本作品に登場する、地域・人物・組織等の名称

 及び写真・イラスト等は。フィクション作品につ

き、現存するものと無関係。

■また同様、法規的齟齬(そご)、言語や生活物資等の時代

考証の矛盾についても容赦を。

■特に、コミュニケーションツールの携帯(スマホ)やテレ

ビ、パソコン。交通手段の自動車や電車、飛行機

が無き時代を、念頭に。

■添削・校正なしでの配信につき、誤字脱字の程。

ご容赦を。

 

〈鰯の頭〉