鰯の頭のmy Pick

 

 

「ハーイ。どなた様で」

の声と共に、現れたのが。

 

なんと、「きの」。

しかも、十五年前の姿で。

 

向こうも、驚いた様子で。

「まあ、眞一郎様では」

「いったい、どうして」と。

 

 

玄関先の薄暗さに、目が慣れる

と。

間違いなく、きのだった。

化粧を落とした、きの

 

二年前

浅草・猿若町の「人形座」や、江

戸城内での「御前公演」で観たの

は。

きのではなく、「紀乃姫(きのひめ)太夫(たゆう)

舞台では、いつも「(しろ)(ぬり)化粧」。

 

白塗りを落とした、きのは。

あの頃と、変わらなかった。

 

 

家にの中に招かれ、事情を知っ

た。

きのの叔母さんが、床に伏せて

いた。

きの孤児(みなしご)

幼少時は、遠戚の佐助の元に。

そして、品川の叔母のところへ。

 

病の叔母は、きのにとって。

育ての親であり、三味線・長唄の

師匠。

 

二月前に佐助からの文で、叔母

の病気を知り。

文楽の務めを調整し、二日前に

(はや)駕籠(かご)で、駆け付けたと言う。

 

▼文楽:人形浄瑠璃のこと。

 

そこに、眞一郎が立ち寄ったの

だから。偶然と言えば偶然だが、

きのとの、運命を感じた。

 

思い起こせば。

東海道を旅した、数々の出来事。

中でも、二川宿で「奉行御一行様

の余興」で披露した。三味線と長

唄。

 

 

京・清水の舞台から、数十年後の

武蔵の国「板橋宿」の百姓小屋。

そこで、「中山道伝馬騒動」に巻

き込まれそうに。

 

幼少時の飼い猫、「まりすず

に再会。

 

ヘソ饅頭百個で、浅草・雷門から

雷神様の力で。清水へ舞い戻っ

た。

 

鴨川の月」を観ながら食べた、

(はも)(なべ)が懐かしく、甦った。

 

 

 

この夜、二人は。

十五年前の二人に、戻った

 

きのが、耳元で(つぶや)いた「あれか

ら、男なしで生きて来た」の言葉。

文楽に捧げるきのの思いに。

納得した。

 

眞一郎は、

一年後の、「全商・後援」による、

江戸での「紀乃姫(きのひめ)太夫(たゆう)・長期公演

を約束。夜明け前に旅籠に。

 

 

品川を発った三人。

昼過ぎには、神田の高台の「源平

屋敷」に到着。

江戸を出てから、帰着迄。

二十一日。予定通りであった。

 

 

翌日、登城。

接見の間には、将軍・吉宗公、

老中・田沼意次、町奉行・大岡

前守。

眞一郎は、

伊勢の両藩の経緯(いきさつ)を報告。

 

結果。

上野藩家老・中川虎光(とらみつ)は、

旗本召上げ、お家断絶。

藩奉行・中川(とら)(まさ)は、罷免(ひめん)

 

藩主・分部(わけべ)信貴(のぶたか)は、次の参勤交

代まで、藩外への出歩(である)き禁止。

 

*なお二年後。信貴は、藩主を自主返

上。これを機に、上野藩と伊賀藩が

 津幡に吸収合併。その後も伊勢国は

 吸収合併により、大部分を津藩主の

 藤堂一族が治めた。

 

 

一方。

北町奉行・諏訪(すわ)美濃(みの)(のかみ)は。

大岡越前守が送り込んだ、内通

者による内部告発などで。他の

複数の収賄(しゅうわい)が露呈し罷免。

 

手先の、南町奉行所の与力・(みゆき)

()衛門(えもん)は、同心に格下げ。

 

岡っ引き幾三は。十手返上、下っ

引きに格下げ。となった。

 

 

 

一人、島田宿に残ったえり

幾つかの博打場で、小銭を大銭

に増やし。

それを元手に、「双子の姉妹」が

いる賭場に、やって来た。

 

丁半賭博」で、三日間続けて

大勝ち。

 

思惑通り、四日目に。

胴元の(はなれ)(ごま)(ぶん)(きち)から、別室での

丁重な「酒席」が設けられた。

 

文吉、話せば中々の人格。

えりの父親と、同世代の五十(ごじゅう)(なかば)

期せずして、同業の父親を知っ

ていた。

 

文吉によれば、親父は筑前(ちくぜん)・博多

で賭場の大親分だと言う。

「親父に、そんな才覚が」とビッ

クリだった。

 

親から逃げ出し。従兄の印西牧

へ向かう途中。この島田宿で、眞

一郎に出会ったのだから。

人の人生は、摩訶不思議(まかふしぎ)

 

 

文吉との話が、双子姉妹になっ

た。

えりは、金銭での引抜でなく。

こう切り出した。

 

「あの姉妹、若くて可愛いが。

 もって二年」

「一年もすれば、客は飽きて離

れる」

 

「しかも、あの娘たち目当ての

客は。小銭しか賭けない」

 

「胴元様が、賭場の今後と二人

の将来を考えるなら。再教育が

必要」

 

中盆(なかぼん)丁方(ちょうかた)ナイカ、ナイカ。

 ナイカ、ナイカ半方(はんかた)あれでは、

 まったく駄目」

 

「声が可愛いだけでは、駄目。中

盆の役割は、客の掛札を高く

すること。それには、客の欲を

掻き立てる『技』いる」

 

「丁半は、掛札が高ければ高い

ほど。胴元が儲かる仕組み

 

寺銭の仕組み:勝ちの5(5%)、ゾロ

目勝ちの1(10%)が胴元に入る。

 

「よろしければ。二、三度。中盆

()らせて頂ければ」と。

 

 

さっそく、賭場(とば)(ぼん)茣蓙(ござ)の横に

座ったえり

 

「ツボ振りは、そのまま」

 

丁方(ちょうかた)ナイカ、ナイカ。

 ナイカ、ナイカ半方(はんかた)

 

一度目は、掛札が少し増えただ

け。

ところが、二度目には倍に。

三度目には、なんと五倍に

増えた。

 

再び、別室に戻ると。

胴元が、

「何故だ。どこが違う」

「わしには、分からぬ」

 

だが、掛札が普段よりも。

五倍に増えたのは、事実。

 

「教えてくれぬか。ここに十両

ある」と言って。

三方に乗った、小判の包を差

し出した胴元。

 

「胴元様、ご冗談を」

「これは、江戸ではチンチロリ

ンで掛ける、一回分の額。結構」

と言って、三方を押し返した。

 

 

しばらくの間、腕組みをしなが

ら思案していた、(はなれ)(ごま)(ぶん)(きち)

 

「恐れながら、他の狙いで。お越

しでしたか」と。

 

「さすが、胴元殿」

「思いを、察して頂き。有難き

 幸せ」

 

「双子の姉妹を、江戸に連れて

行きたい」

「二人は、まだ若い。十五か十六。

 二年後に戻っても、十七」

「それから、二十年間。毎年、

今の五倍は稼ぐだろう」

 

 

えりの言葉に。

文吉は、他のセコイ胴元との違

いを見せた。

 

「よかろう。えり殿に姉妹を預

けよう」と、なった。

 

(つづく)

 

■登場人物の紹介は、適宜掲載。〈年齢は数え年〉

源平眞一郎37歳。南町奉行所・

与力(特別顧問)。「全商」首領。

源平眞太郎16歳。南町奉行所・同心。

眞一郎の長男。

幾三。岡っ引き。四十半ば。眞太郎の子分。

平太。岡っ引き。16歳。丸三屋の奉公人の息子。

大岡越前守。大岡忠相。南町奉行。

幸左衛門。南町奉行所・与力。眞太郎の上役。

田沼意次。幕府重臣(老中)。

徳川吉宗。8代将軍。

中川虎光。伊勢上野藩。家老。

中川虎影。伊勢上野藩江戸屋敷留守居役。死亡。

諏訪美濃守。北町奉行。大岡越前守と犬猿の仲。

分部信貴。伊勢上野藩主。

▶中川虎政。伊勢上野藩奉行。

えり32歳。「大江戸娯楽所」首領。

ゆり。「嬋」相棒。くノ一。

藤堂一族。伊勢津幡主。

佐助。丸三屋の番頭。一時、眞一郎が養子に。

眞一郎、眞太郎親子の筆おろし案内を務める。

きの紀乃姫太夫33歳。人形浄瑠璃の座長。

大阪在住。佐助の親戚。

 

■本作品に登場する、地域・人物・組織等の名称

 及び写真・イラスト等は。フィクション作品につ

き、現存するものと無関係。

■また同様、法規的齟齬(そご)、言語や生活物資等の時代

考証の矛盾についても容赦を。

■特に、コミュニケーションツールの携帯(スマホ)やテレ

ビ、パソコン。交通手段の自動車や電車、飛行機

が無き時代を、念頭に。

■添削・校正なしでの配信につき、誤字脱字の程。

ご容赦を。

〈鰯の頭〉