滝山城の歴史。
永正18年(1521)に、武蔵国守護代・大石定重が築城。
大石氏は山内上杉家の重臣だったのですが、
河越夜戦で北条氏康が扇谷+山内上杉連合軍を破ったので
大石定久は氏康の三男・氏照を婿養子に迎えて
大石さんちは事実上北条旗下に入りました。
その後城主となった氏照が城の大改修。
(という訳で、氏照好みの縄張りっぷりが拝めるという訳です。
素人にはよくわからないけど…伏し目)
永禄12年(1569)には、武田信玄の軍2万に攻められ
三の丸まで攻め込まれたものの、2千の兵で凌ぎ切ります。
滝山城は北側は多摩川に面し急峻な斜面だが
南側は比較的緩やか。
防御面に不安を感じた氏照は
後に八王子城を築いて居城を移し、滝山城は廃城に。
八王子というロケーションには
想定外の小仏峠から別働隊の小山田信茂隊に侵入を許した
ということもあるんですかね。
本丸の虎口。


虎口発掘調査の説明タイル。

なんつーか、ものすごいカッコいい虎口。よくわからんけど。
虎口から中ノ丸へ、引橋が架けられています。

引橋の上から空堀(下は遊歩道)を見下ろす。
たいそうな高さよ。

↑多摩川方面へ下る道、
↓右は本丸へ登る道、左は二ノ丸へ。
道の間に見える緑は、かつてあった池の跡。

<続く>
永正18年(1521)に、武蔵国守護代・大石定重が築城。
大石氏は山内上杉家の重臣だったのですが、
河越夜戦で北条氏康が扇谷+山内上杉連合軍を破ったので
大石定久は氏康の三男・氏照を婿養子に迎えて
大石さんちは事実上北条旗下に入りました。
その後城主となった氏照が城の大改修。
(という訳で、氏照好みの縄張りっぷりが拝めるという訳です。
素人にはよくわからないけど…伏し目)
永禄12年(1569)には、武田信玄の軍2万に攻められ
三の丸まで攻め込まれたものの、2千の兵で凌ぎ切ります。
滝山城は北側は多摩川に面し急峻な斜面だが
南側は比較的緩やか。
防御面に不安を感じた氏照は
後に八王子城を築いて居城を移し、滝山城は廃城に。
八王子というロケーションには
想定外の小仏峠から別働隊の小山田信茂隊に侵入を許した
ということもあるんですかね。
本丸の虎口。


虎口発掘調査の説明タイル。

なんつーか、ものすごいカッコいい虎口。よくわからんけど。
虎口から中ノ丸へ、引橋が架けられています。

引橋の上から空堀(下は遊歩道)を見下ろす。
たいそうな高さよ。

↑多摩川方面へ下る道、
↓右は本丸へ登る道、左は二ノ丸へ。
道の間に見える緑は、かつてあった池の跡。

<続く>