疑問その①で「お経」について
疑問その②で「仏教の世界観(死後の世界)」を考え
疑問その③「地獄のシステム」について考えたので
ついに最終章
疑問その④「親父の葬式は仏式(仏教)をやめて、神式(神道)にする」と父親に宣言! です^^
※また、文章が長くなりますので(面白くもないですし)ご注意ください!
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なぜ、仏教に興味を持つようになったのかと申し上げておきますと
祖父・祖母が亡くなった時の葬儀や法要時のできごとがきっかけなのです。
祭壇や仏壇などの飾りつけのやり方が、葬儀会社の人・お坊さん・地元の親戚で意見がさまざま。坊さんが言う通りにしても、うるさい親戚が坊さんが間違っていると言って変えてしまう。
葬式の時に畳の上で長時間正座し、意味のわからないお経を全員で唱えて皆が苦痛の表情を浮かべている。
喪主の父親を、皆の前で坊さんが「祭壇のやり方を人に聞くなどして勉強しなさい。それも供養だ!」と説教し、うるさい親戚側についてしまった。
お寺が檀家に対しての要求が多い。(金、物)
という事がありまして、決まり事だから意味はわからなくてもやるのは当たり前だ!的な感じが疑問となり「仏教ってなによ?」となったのです。
その後、親戚達との関係は、相続問題も含め修復不能となり、父親は全てを放棄し、家を出る事になった為、二世帯住宅で私達と一緒に暮らすことになった。すると「新しい墓はどうする?宗派は?寺の檀家にならなければならないのか?」という新たな問題が発生してしまった。そんな時ふと思った・・・

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さて、檀家(だんか)ってなんでしょうか?』
調べてみると、今から400年前の江戸幕府キリスト教禁止令を出したことから始まるようです。当時の民衆の支配を固める為にも、必ずどこかの寺院に所属をし、寺に戸籍を登録する制度ができたそうです。
それが「檀家制度」。
寺院が発行する檀家であることの証明書拒否されてしまうと、就職も旅行もできず社会的な制裁を受け生活が出来なかったそうです。
その為、住職の権限絶大なものとなり、檀徒はひたすら隷属するしかなかった。(寺の行事や布施を断ったりすれば戸籍を抹消されて村八分や邪宗門の疑いをかけられたりする事になるのだそうです)
このころに、僧侶が檀徒の死後、死相を見届け、檀徒に間違いのないことを確認して、戒名を授け、引導を渡すことが義務づけられた。
つまり、葬式に必ず坊さんを呼ばなくてはならなくなったのです。
また、盆と彼岸の墓参りの徹底させる事などを盛り込んで、信徒をつなぎとめ、法要の度に供養を受け、僧侶が裕福になっていったそうです。
やがて、個人の仏教への信仰心は失われ、葬式と法事が専門の「葬式仏教」が残り、現在の慣習化になっているそうです。

『墓はどうしても必要か?』
日本の法律だと、火葬をする事と、墓地以外の区域に骨を埋めてはいけないという事が決まっているそうです。
とはいえ、よく「海や空や山に撒いてくれ」って遺言を残して、遺族が散骨したりするのをドラマでみたりしますが、違法なのか?というと、必ずしも違法ではないようです。
海岸で撒いたらダメみたいですが、沖に出ての散骨は「葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り遺骨遺棄罪に該当しない。」という見解が厚生省・法務省から出ているそうです。(1991年)
ただ、人骨が海岸に落ちてた!とか、土掘ったら出てきた!だと事件性を調べたりで大変なことになってしまうので、細かく粉末状にしてから撒くなどの配慮がなされていたか等に よって判断されるものと思われます。
そして墓と仏教の関係も、もともとは関係ないらしいです。
(もともとの仏教では、お墓は作らないそうです。なぜなら、生まれ変わり別の命になると考えているため、子孫代々供養したりする理由がないからだそうです。葬儀に関しても、釈迦は弟子に(葬式は在家の者に任せておいて)、僧侶は修行に専念しなさいと、言い残しているらしいです。)
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これまで親や祖父・祖母から教えてもらっていた仏教は、
「あなたがいるのは先祖がいたからだよ。先祖を敬い、お願い事はするものではないよ。お線香をあげ、鈴をチーンとならすと仏壇に先祖が現れるから、今の自分をご報告しなさい。」
「先祖がいつも見守ってくれているのだから、お墓詣りをきちんとしないと、先祖に怒られるよ。」
「お盆には速い馬(きゅうり)に乗って先祖の霊が帰ってくるよ。道がわからなくならないように迎え火をするんだよ。帰りはゆっくりな牛(ナス)に乗って帰っていくよ。」

と、先祖崇拝を中心とした考え方に「それは大事な事だな~」と納得しておりました。

今回の事があってから調べてみると、どうも、もとは日本古来からある「神道」の考え方が混ざっちゃってるように感じたのです。
あまり詳しくはないのですが「神道」では、死ぬとになります
神道においては、「人はみな神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る」ものと考えるそうです。

【神道は、家の守り神になり、家族を見守るという考えなのです。】

私も子供(娘)が2人いるので、妻や子供の健康・安全を守り神となって守ってやりたいと思う。
なにせ考え方がシンプルで、私好みである。

仏教は戒名になりますが
神道は諡号(おくりな)になります。
名前の後に、故人の性格や業績と、亡くなった時の年齢に応じて(成人男性の場合40歳以上70歳以下だと「大人命(うしのみこと)」、女性の場合は「刀自命(とじのみこと)」)でくくられるのが、死んだ後の名前になるそうです。(命だけだったり、大人だけだったりもするようです。)
例:、山本太郎美志真心高根大人命

仏教は仏壇になりますが
神道は祖霊舎(みたまや)になります。
仏教は位牌になりますが
神道は霊璽(れいじ)になります。

仏教に比べると、神道は傾向として質素(派手さがない)です。

最近では無宗教を貫いて、自由葬を選択する人も多くなってきたそうですが、自由で、って言われても、きっと皆が戸惑うと思うのです。

というわけで
疑問①疑問②疑問③疑問④を考えた結果

父に言いました。(唐突にですが)
『親父、親父が死んだときは仏教ではなく神道で葬儀をすることにするから。今日からうちは神道です!』と。

父は目をパチクリしながら、「今日からっていわれても・・・」と言っていた。
 

『大丈夫!死ぬまでは特にやることはないから!ところで、個人的にはお墓いらないと思うんだけど、どー思う?』
と言ったら

「墓はいるだろ~?!」
とビックリして言う。

『だけど、うちは娘2人だよ。俺の代で墓を見る人は途絶えちゃうわけで、見る者のいなくなった墓は無縁墓となって、撤去されちゃうんだよ。せっかくお金かけても。だから浜名湖かどこかに撒いて墓はなしにしない!?』

「え~~~~~~っ!???」

って親父は言ってましたw(神道はいいけど、さすがにそれ(墓)はもう少し考えたいとw)
 
 
 

というわけで、長々と書いてしまった「仏教4部作^^」これにて終了しますw


※もともと、宗教に興味がなかったので、「神道」に入れ込むこともないと思います。^^
今回、かなり偏った仏教の見方をしているので、まともな方からは、怒られるかもしれません。
とはいえ、ようやく自分の中では納得がつきました。
しかし、ここまでくると、考えに何が足りないのか指摘があれば聞いてみたい気持ちもあります。^^(コメントください)
御清聴ありがとうございました!