■ 教員15年、ふと湧いた違和感
「このままで本当にいいのだろうか?」
子どもが好きで、教えることが楽しくて、
気づけば教員として15年が経っていました。
信頼も責任もそれなりにあり、生活も安定している。
でも──
ふと立ち止まったときに思ったのです。
「このまま、あと15年やって、私は本当に納得できるのか?」
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■ 保護者が“上”、教員が“下”?それ、教育じゃない
「お母様がこうおっしゃってまして…」
「まずは保護者に誠実に…」
今の学校現場では、
教員が保護者の顔色をうかがう構図が“当たり前”になっているように感じます。
でも、よく考えてみてください。
私たちは「子どもの人生」に本気で向き合っているはずです。
それがまるで接客業のように扱われることに、強い違和感を覚えました。
教員、保護者、子ども──本来は横一線であるべきだ。
教育は、誰かが上に立つものではなく、
それぞれの立場が尊重されながら、子どもの成長を支える“チーム”のはず。
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■ でも、学校という組織では限界があった
私自身、現場でそれを実現しようとしてきましたが、
組織という構造の中ではどうしても難しさがありました。
•本来やるべき“教育”よりも事務や制度に追われる毎日
•同僚も疲れ果てていて、本気の議論すら成立しづらい
•理想を語ることが“浮いてしまう空気”さえある
そんな中で強く思うようになったのです。
「もう一度、“教育の場所”を自分の手でつくりたい」と。
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■ レスリングクラブという“新しい教室”
今、私が立ち上げようとしているのは、
レスリングを通じた教育クラブです。
そこでは、
•子どもは「育つ存在」として尊重され
•保護者は「信じて見守る立場」
•コーチは「導き手であり、共に学ぶ仲間」
誰かが上に立つのではなく、横一線の関係性の中で、
本気で人の成長を支えられる場をつくります。
学校では難しかったことが、ここならできる。
だから私は、この場に人生をかけたいと思いました。
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■ 優里『ビリミリオン』が背中を押してくれた
♪ 僕が生きる理由は 僕が決めるから
この歌詞に、ものすごく共感しました。
まさに今の私の心境そのものです。
人生は一度きり。
安定も大切。でも、それだけじゃない。
「こうなりたい」と思った時点で、それを選ばなければ後悔する。
そう確信しています。
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■ 教育者としての誇りを、もう一度
教員としての15年は、決して無駄ではありません。
でも、次の15年は「もっと私らしく」「もっと自由に」「もっと本質的に」生きたい。
そして60歳を過ぎたら、
レスリングや教育を通じて築いてきた地域との関係から、
新たな“人の役に立てる形”を探したいと思っています。
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最後に、もし同じように迷っている人がいたら
伝えたいことがあります。
「生き方を、自分で選び直していい」
「あなたの価値は、ちゃんとある」
「そしていつからでも、自分の人生を更新できる」
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私の出発点
これから私は、レスリングという“運動”を通して、
“教育”と“生きる力”を伝えていきます。
「僕が生きる理由は、僕が決めるから」
この言葉を胸に、新しいスタートを切ります。