「あと10年、教員は無理だなって思った。
5年…いや、3年。
正直、今年の夏休みまでで終わりたいとすら思っている。」
この言葉が出てきたとき、自分でもびっくりした。
長年やってきたし、子どもも仲間も大事だった。
けれど、それでも心の奥底で、限界が近づいていることをちゃんと感じていた。
⸻
「あと5年だけ頑張る」――
そう思ったこともあった。
その5年でやれること、終わらせること、次に向けた準備、きっとたくさんある。
でもそれは、「まだやれる」と思い込みたかっただけかもしれない。
気づいてしまった。
「もう無理かも」って思ってる自分に。
⸻
そして、こんな言葉が出てきた。
「自分の限られた命の時間。価値がわかってもらえる人にこそ使いたい。
それによって、自分の命の価値が何倍にもなる気がするから。」
お金でも名誉でもない。
自分の時間と想いが、ちゃんと受け取られる場所に身を置きたい。
そう願ってしまったら、もう「なんとなく」では生きていけない。
⸻
「いやいやできるよ。
惰性で、心を無にして、何も感じないようにすればいくらでもできる。
でも、それって生きてない。
それって、“死んだ人生”なんだよ。」
この言葉は、逃げじゃない。
甘えでもない。
「本気で生きたい」と願う人間の、静かで強い決意なんだ。
⸻
辞めたいんじゃない。
生きたいんだ。
命の時間を、自分の信じる場所に使いたい。
その想いが、少しずつ、自分を動かし始めている。
⸻
もし、これを読んでいるあなたの中にも、
「もう無理かも」「これでいいのかな」っていう小さな声があるなら、
それを**“終わり”じゃなく、“始まり”のサイン**として受け取ってほしい。
自分の命の価値は、自分で決めていい。
そう信じられたとき、人生はもう一度、始められる。