今回、1月8日に発刊した『海外へと赴いた明治民権期の青年たちの群像~廣田善朗と大住・淘綾両郡の青年たち~』は、私にとって、2017年以来、2023年までの民権結社「湘南社」の人物探索の総集編という意味を示すものであった。2017年に「大磯町寺坂の鈴木房五郎墓碑~碑文にみる生涯とその思想の特質」(平塚市博物館研究報告『自然と文化』No41号)に投稿した「湘南社」探索の出発点であった。この論考を最初として、その翌年の2019年には『県央史談』37号に「鈴木房五郎の生涯とその人物像」を投稿したのを最初として、『県央史談』58号には、「猪俣弥八、その知られざる生涯」を、2022年の59号には「猪俣弥八、その追悼集『落葉』にみる人物群像」として、弥八と関わった「人物相関」の論考を提起した。次いで2023年の『県央史談』60号には、「松岡洋右『伝記』にみる渡米後の猪俣弥八」を取り上げた。その間、2018年には大磯郷土資料館による「明治の功労者 明治150年企画展 湘南社の活動と近代地方行政」の資料展(9~12月)が開催され、「鈴木房五郎と後藤濶の関係」(同郷・同年の関係)であることが示され、「後藤濶墓碑の撰文」を書いた鈴木房五郎が、湘南社山口左七郎と後藤濶との関係書簡の中で示された。これらの中で、初めて鈴木房五郎の存在が示されたのであるが、二宮町教育委員会発行の『ふるさと再発見7『伊達時とその時代』~自由民権運動などのかかわりから』という、伊達時『日記』を総体として紹介する資料集が刊行された。これには「伊達時『日記』に、渡辺慶次郎が伊達時から頼まれて「鈴木房五郎の墓字を揮毫した」とあるという記事に出会う。川島敏郎氏は、この解説に「勝蔵の場合と同様に、時の果たすべき任務として自覚していたのかもしれない」と記している。これらの参考文献にも鈴木房五郎と後藤濶が登場するようになった。2021年には『「湘南社」民権家群像』という「大住・淘綾両郡の民権家たち」が紹介された。この年には『ハワイ日系人の歴史的変遷 アメリカから蘇る「英雄」後藤濶』という後藤濶物語を「移民史」の視点から捉えた後藤濶の研究書が現れた。これは堀江里香(テキサス大学・名古屋大学の研究員)氏の著書であった。この書には寺坂普門寺跡にある「小早川勝蔵墓碑および弟關次郎・雪についての在米活動」が紹介されている。その年2021年には『県央史談』62号に「廣田善朗の生涯」についての論考を投稿した。この廣田探索は、猪俣弥八「追悼集『落葉』のなかに登場」する廣田善朗探索の結果投稿であった。2022年には『猪俣弥八とその生涯』として、資料集と論考集が纏められて冊子として発刊された。これらの探索結果は、第5回「湘南社」自由民権資料展として2023年には、雨岳民権の会で開催された。この展示には、その後発掘された人物たちが、海外編青年群像として示された。その中には「南方熊楠と親交があった伊勢原西富岡の小澤正太郎の人物紹介」も加えられた。これら人物群像の集大成として、今回『海外編青年群像』の冊子が纏められたという訳である。2024年の『県央史談』63号には、この展示の内容点が「この地から海を渡った明治の民権派青年たち」という形で、人物紹介されたのであった。展示・冊子・講演の3つを果たしたという点で、海外編の総集編といえると思う。