100日法要
今日はHere様が亡くなって、100日目にあたります。浄土真宗の真宗大谷派 阿弥陀経を、朝から視聴し、法要です。Here様が極楽浄土で先代、先々代と仲良くしていることを祈ります。最近法名を先代、先々代とにも考えました。先々代は仏葬でした。生類憐みの令の徳川綱吉ゆかりのお寺で火葬いたしました。Here様は告別して、翌朝遺体を引き取ってもらいました。(都内の合同火葬)はじめて飼ったペットなので、火葬にしたかったのですが、移動や他者の嫌がらせもあり、手配ができませんでした。都内は、「猫の死体」という表現をされたり、ペットを飼わない方も多くいらっしゃるので、不快な人たちと会話しなければならないのは苦痛です。私は人間に興味がありません。なので、異世界の方の話が鬱陶しく、馬鹿らしいと思っています。他人の話なので、仕方ありませんが。関わりたくありません。人間は汚いですし、醜いと思います。頭も悪いと感じますし、知能についてペットが持つ知能と人間の知能の求められる水準が違うのはわかりますが、不快な発言をするのは人間ですし、嫌がらせをする脳も人間のほうが不快感が高いです。フェレもいたずら好きですけど、不快ないたずらはありません。ずっと、可愛いHere様が懐かしく、早く会いたい気持ちです。嫌いな人間しかいません。なので、周囲にいるだけでも不快です。物音一つですが、人間がいることがわかる物音掃いている音もなんて醜いんだろうと思います。不快な音の一つに掃き掃除の音です。先代と先々代と暮らしていたころは耳にしたこともありません。人間の動作の音が大嫌いです。空間に存在すること自体大嫌いです。もっと静かな場所へ移り、フェレと仲良く静かに暮らしていたいです。人間が大嫌いなのは、私が年齢を重ねたためでもありますが、時々、紛争や武器開発なんて当然のことなのだろうと思えています。この世に存在している醜い人間が一掃されることを望む人は多いことだろうと思えています。渡る世間は鬼ばかりではありませんが、フェレ以外との関係はすべて不協和音です。何度となく、この世から人間がいなければいいのにとフェレと一緒にいると思えています。Here様の遺体を預けるときも、会話をしていないことはよいことだと思います。相手がどう思うかを気にしながらなので、表現も動物の死体をと言いながら、お花とごはんとHere用の刺繍の入った腹巻と毎年誕生月に購入していたシュシュを首飾りにした遺体を紀伊国屋の紙袋に入れて渡しました。病気がちだったHere様は体表が緑色に変色しており、やや体内ガスが不安でしたので、早急に手配しなければなりませんでした。氷を当てて体を冷やし、馬鹿な大人の相手をし、くだらない人間の相手をしなければならなかった時間をフェレとのお別れに使いたかった。ばかばかしい意地汚い人間が大嫌いです、ウクライナで起きている紛争も時々ニュースになるテロも必然に思えます。人間は憎悪の塊です。暇を持て余した、つまらない人々が私の周囲の人間です。産業動物との違いなんてあまり感じません。動物同士で会話をするという書籍も読んだことがあります。人間が牛や豚のように大きなステンレスか何かシルバーの鋭い金具で吊るされていてもおかしくないくらいに知能は感じません。高度差ってなんでしょうか。不快な視線から逃れたい一心です。気持ち悪く、不快でしかありません。見たくもない、会いたくもない、接触したくもない。何度となく、なんでああいうのいるの?の視線、不快な視線を浴びる日も多く、不快極まりないです。私からするとその視線の先の人間が気持ち悪いんです。よく企業内でも嘲笑してくる社員や悪口を言ってくる社員が大勢いたものです。中途採用組がよく合う視線ですが。社畜と呼ばれる、社内失業グループが多かったため、周囲はよい環境ではありませんでした。愚かな人間が多いことは確かです。愚行権もあります。私は変わった服装をしていないタイプです。頭髪も染めておらず、奇抜な服装をしていません。また、タトゥーや入れ墨を入れる趣味もありません。一見で人目を惹くような出で立ちではありません。人間がいると家畜として藁上で買われて、食肉化されるか牛革製品に代わる産業動物みたいに見えてしまいます。トム・クルーズ主演、ワルキューレではWW2の終戦前のドイツが舞台です。ヒトラーはワーグナーを解さないものに国家社会主義は語れないといいます。丸太のようにといった表現がよくわかるような写真が検索すると出てきました。私は収容所送りの人間が丸太と呼ばれていたことがぴんと来ておりませんでした。731部隊でも旧満州で捕虜を丸太と呼んでいた様子です。資料集や写真には戦時中の収容所の建物図だけでした。検索した写真には、木組みの工具棚のような場所へやせ細った収容者が丸太のように衣服をまとわずに木材のように並んでいる若い人間が移っていました。プライバシー侵害してくる社会的に阻害されている人たちがいます。他人の持ち物を物色したり、執拗に覗き込むような、危険因子に映る場合の検閲のようには見えません。テロ防止が目的だとしても、物を漁るかのようではない。アップルTVにもココシャネルやディオールがWWの戦時中のフランス占領下のナチがユダヤ人の邸宅を没収してシャネルに提供しているシーンがありました。占領や戦下にあっては、他人が占領所有するというのはよくあり、他人が使っていたものをそのまま利用するのは、一時的な戦時中の利用としても暴力的です。モーガン夫人の秘密においても大佐が統治下に置かれている間利用する場所として占領下の建築家の自宅を没収して使用する様でした。私もかなりびっくりしたことには、祖母の家を改築して他人に貸し出ししていたことです。よく行き来していた母方の実家が昔のようではなく、他人がそこに賃貸しているというのです。祖母は特老でなくなりましたが、祖母との思い出はあり、よくそんなことがと思ったものでした。家と祖母の記憶があると意外に思い、ただ、亡くなった後に家を継ぐ者がいなければそういうものなのかと思い、家に思い出があることが変なものだということ、30歳を超えると、親戚も亡くなっていきます。住む人のない家は、改築されたりします。一番ショックだったのは中庭です。祖母の家の前には畑としても利用できる庭がありました。その庭を更地にして砂利をしいているようだったのです。庭木を手入れする人もないのでということなのでしょうが、嫌でした。コロという犬や猫が数匹8匹位で入りする祖母の家の思い出が失われたように思いました。亡くなった人のいる家屋にいるのは空虚にも感じます。以前、先代が亡くなったときも玄関に来てくれるフェレが懐かしくて、部屋にもういない、ごろごろしているところを見られないことが、辛いものでした。Here様を買いに行って連れて帰ったとたんに元気なHere様が先代との別れを癒してくれました。あの頃の写真がブログに載っています。最後までHere様といられてよかったです。お別れが移動中のバックだったことが悔やまれて、あんな馬鹿な大人の相手なんてしたくなく、悔しいです。人間が屑すぎて、こんなやつらと思います。いまだに嫌いです。勝手だなと思う年齢です。更地になっていたり、改築されてベランダがなくなっていたのも、無性に腹立たしい、というか、知らない人のすることがつまらない大人行動が何とも言えない嫌な思いが付きまといます。家や土地に関することはやはり、以前の所有関係云々様々な人がどう見るかということもあって、家が取り壊されるところもたまたま見ましたが、木造なら1~2週間くらいで更地です。父は祖母の家をリフォームしたので空き家を賃貸に変更しただけですが、それでも嫌だなと思いました。他人の介入って気持ち悪さがつきまといます。モーガン夫人の秘密の中で、大佐はだいぶ配慮しているものの、やはり変でしかない。。。想念というか、何もないんですが、占領している気分が気持ち悪いわけで、例えばだれかが借りていた部屋を借りるにしたってその前の住人が亡くなっていたりすると気持ち悪いです。こと、住人間で漏れたりして、前の人は認知症だったみたいな話をされたり、亡くなって数日放置されたとか(亡くなっている場合は救急搬送できない、医師の手配が間に合わない)ベッドに死体を安置する場所として利用したみたいな話です。ご遺体のあった布団ではないですし、特に血液の付着がみられるわけでもないですが、心理的瑕疵があります。今日は、Here様の法要なので、仏説阿弥陀経を聞きました。内容は、『仏説阿弥陀経』は、お釈迦さまが弟子たちの前で極楽浄土の情景や阿弥陀仏の功徳を説いたお経です。国中が苦しみのない美しい宝や音楽に満ちている極楽の世界が描かれており、南無阿弥陀仏の名号を称えることで誰もが往生できることが説かれています。また、故人と同じ場所で再び出会える「倶会一処」の教えが示されており、法要などでも大切な意味を持つ経典です。 だそうです。Geminiより。Here様は美しい宝に関心ないように思いますが、往生してくれていることと思います。【倶会一処(くえいっしょ)】浄土真宗をはじめとする仏教の教え(『阿弥陀経』)に出てくる言葉で、「倶(とも)に一つの処(ところ=極楽浄土)で会う」という意味です。旅立った大切な存在や故人と、いずれ同じ極楽浄土で再び出会うことができるという救いや安心を表す言葉として、法要や墓碑銘などでよく使われます。「倶(とも)に一つの処(ところ=極楽浄土)で会う」Here様と先代と先々代とみんなでまた会いたいです。👼👼👼💕フェレちゃん大好き~💕 New video · Tuesday, Apr 7 🎬 Tap to view! via木蓮's Ownd Your own website, Ameba Ownd