気づけば9月。仕事で書いた記事のまとめは随時更新して2、3週間に一回くらいのペースで更新していたが(毎度「いいね」くださる読者のみなさま、ありがとうございます)、ブログの記事としては4ヶ月半ぶりとなってしまった。

 

手短に近況報告を書くと、8月は「ゴジラ」の一ヶ月だった。世間が映画『シン・ゴジラ』の巨大な御輿をワッショイワッショイやっている中、私も「いいなー、あの端っこだけでも担ぎたいなぁ」と思いながら、目の前の仕事と子育て(昨年、長女が生まれました)に追われていた。

 

 

映画は2回観た。すでにネットでは『シン・ゴジラ』論や対談などがさまざま溢れる中、たった2回の私ごときが何を語れるのか。頭の中で何度もプロットを書いては他のライターに先を越され、「いや、これで書けるかも!」と新たな希望が見えた次の瞬間には、それより面白い原稿が現れ……。

 

「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる(by赤坂秀樹)」いや、私はスクラップ&スクラップです、ぜんぜん立て直せませんと涙目状態。自分の好きな記事も書けず、これでなにがプロのライターだ、なにがっ……!「今は『シン・ゴジラ』より仕事を優先すべきです(by花森麗子)」と、常に心の中の劇中登場人物たちと言い争ってきた。

 

映画鑑賞は2回。が、パンフレットやネットにあがり続ける記事も熟読したし、今まで観ることなかった1954年版・モノクロ映画の初代『ゴジラ』と、私が生まれる一年前に放映された1984年版『ゴジラ』もTSUTAYAからレンタルしてきて観た(※huluなら初代から『ゴジラ FINAL WARS』に至るまでの東宝全ゴジラ作品が観れるらしい。ちょっと後悔である)。

 

そろそろ、何か自分なりの感想文を書いてもいいんじゃないかと思う。まずは、この『シン・ゴジラ』祭り現象について思うことから語り始めたい。

 

●興行収入53億円突破!けど、まだそんなもん?

 

最初に興行収入について。そんなに!?という驚きが半分。残り半分は、え、まだ100億円行ってないの!?というガッカリ感がある。

 

・ねとらぼ「「シン・ゴジラ」の興行収入が53億円超え 既に“エヴァQ”を突破、盛り上がりはいまだ衰えず」(2016/8/29)

 

興行収入など、イチ観客が気にするものではない。ふつうの映画だったら、観たい人が観ればいいと思う。「面白かった!オススメ!」と紹介して「ふーん。興味ない」と返されれば、私の伝え方じゃ足りなかった、残念、という気持ちはわいても、「まあ人それぞれ好みはあるし、無理強いはよくない」という結論に落ち着く。

 

ただ『シン・ゴジラ』は違う。「観ない」と言う人に対して「はぁ!?あんたバカぁ!?どうせ来年あたりTVで放送されると思ってるんでしょ!映画館で観なきゃ迫力も何も伝わらないじゃない!後悔しても知らないんだからぁ!!」と、『エヴァ』のアスカばりの剣幕で叫びたくなる。じっさい私がそんな風に叫んだらキモイですが。

 

ただこうした気持ちを持ってしまうのは私だけじゃない。観た人全員が同じ感想を持つハズだ。「これは日本国民全員が観るべき映画」と。ゲーム作家・ライターの米光一成さんも、こんなレビューを書いている。

 

・エキレビ「大傑作「シン・ゴジラ」をオススメしたい人を考えてたら日本人全員になってしまった」(2016/8/3)

 

もちろん大絶賛する方が大勢いる一方、批判の声もある。「いい意味で裏切られた。パニックムービーであり、政治映画。骨太で大人向けだ!」「怪獣映画じゃない。子どもと一緒に観に行ったが、会議のシーンばかりで退屈」絶賛はそのまま批判になる。またその逆もしかり。「あまりに淡々としすぎて、感情移入できない」「恋愛や人間ドラマなど邪魔な要素が省かれ、テンポよく観やすい!」

 

ただ「観る価値のない映画だった、金返せ」という批判は一つも見た記憶がない。絶賛する人も批判する人も、それぞれ思い思いの感想の言葉で、SNSなりブログなり、ニュース媒体なりを埋め尽くしている。観る人の心になにがしか、感動なりトラウマなりを必ず残す映画というだけでも、「いま観るべき映画」と言えるのではないだろうか。

 

●観るべき理由1:東日本大震災の追体験として

 

観た人々がこんなに『シン・ゴジラ』を推す理由とは。いろいろあるが、やはり一番は東日本大震災をモデルに描いている点だろう。

 

初代『ゴジラ』が時の東京大空襲や水爆実験などと密接に結びついているようにように、『シン・ゴジラ』と地震・津波や福島原発事故は切っても切り離せない。東京湾に現れたゴジラがたくさんの船舶を押しながら蒲田に上陸するまでのシーンは、3.11の津波の映像そのままに見えたし、上陸後に散々暴れ回ったあとに残った瓦礫の山、放射能漏れによるパニックを描いた点も「あの日」の再現に他ならない。

 

いまや毎年3月11日になると、例の津波の映像なり当時の混乱っぷりがテレビで放送されるのが恒例行事だ。「※映像を見て気分を悪くされる方は視聴をお控えください」などというテロップ付きで。気分を悪くさせるつもりがあるなら最初から見せるなよ、とツッコミたい気持ちもある。だが同時に「あの日の記憶を忘れてはならない。無理してでも見なければ」という相反する感情もわく。あの映像を見せられるたびにそのジレンマに苦しむ。

 

『シン・ゴジラ』の上陸シーンは、あの映像と酷似している一方で、「これは虚構(フィクション)だ」というのがハッキリとわかる。だから「怖いけど、まだ安心してみられる」。

 

初代『ゴジラ』を映画館で観た1954年当時の人々もそうだったのだろう。ゴジラが吐く火炎放射で東京が焼かれる。戦時中の空襲を思い出す。怖い。けれど映っているのは現実離れした巨大怪獣だ。ウソだとわかるから、まだ落ち着いて観られる。

 

実際に過去に起こった悲劇も、虚構というオブラートに包めば受け入れられる。風化させてはならない過去を、ジレンマをあまり感じずに思い起こすために、「あの日」を体験したすべての日本人が『シン・ゴジラ』を観るべきなのだ。

 

●観るべき理由2:未来の日本への警告として

 

そして「観るべき」2番目の理由は、これが未来に起こる東京の災禍を予告しているかもしれないという点。首都直下型大地震は、今後30年以内に起こる可能性が70%と言われている(AERA「首都直下地震 死者最大2万3千人の7割は火災が原因と予測」2016/8/30)。その未来の日には、ゴジラよりも広範囲の破壊が起きる可能性もある。

 

そのときに国はどう動くか。我々はどう生き延びるべきなのか。その指針を示してくれる映画でもあると言えるだろう。現時点では、この映画で描いている内容こそが描きうる最善策のシミュレーションだ。政府や自衛隊など細やかな取材によって、そのオペレーションのすべてがここに描かれている。

 

が、飽くまで「うまくいった場合」のケース。現実は、映画のように感動的なエンディングが迎えられるとは限らない。現実としてゴジラに匹敵するような災いがおとずれたとき、何を優先し、どう行動すべきか、指針だけに頼らないそれぞれの生き方が改めて問われることになる。

 

●観るべき理由3:今を生きるすべての人の心の支えとして

 

その現実の危機に際しても、やはりこの映画を鑑賞した記憶は役に立つことだろう。3番目の理由、ただ絶望するだけではない、立ち上がり前へ進み続けるための希望の持ち方も、この映画は教えてくれているのだ。

 

もちろん、地震のような大災禍に限らない。個々人の日常生活においても、ピンチはいくらでも訪れる。私のように、仕事・育児に追われている人も多いだろう。そんなとき「まずは君が落ち着け!(by泉修一)」と、ワンシーンワンシーンの記憶が今のあなたを支えてくれるはずだ。実際、私もそうです。

 

●おわりに

 

まだまだ『シン・ゴジラ』について語りたいことが山のようにある。ストーリーの細かい分析なども、またできる限り近いうちに書きたい。しかし、今は仕事を優先する。「事態の収束にはまだ……ほど遠いからな(by矢口蘭堂)」また今月も、仕事・子育てにめいいっぱい励ませていただきます。

 

続きは、また3回目を観た後にでも書ければいいな……とりあえず「観た」という方、この記事にコメントください。そこで、共に熱く語りあいましょう(笑)。