6月13日(土)雨 大人になるということ=『クラバート』

『大どろぼうホッツェンプロッツ』で知られている作者プロイスラ―の最高傑作。解説によれば、プロイスラ―は『クラバート』を半分ほど書き進めて、行き詰ってしまったときに、『大どろぼうホッツェンプロッツ』を書いたとか。

 18世紀初めのドイツ東南部、ポーランドとの国境に近い山深い地域が舞台だ。そこに伝わる「クラバート伝説」に基づいて創作した物語という。

主人公の少年クラバート(孤児・14才)は仲間と物乞いをして気ままに暮らしていたが、夢で何度も「シュバルツコルムの水車場に来い」と呼びかけられる。その声に引かれるまま、その水車場で製粉の見習い職人となる。12人の職人を一人の親方が厳しくこき使う場である。常に12人であることに意味がある。ドイツの古いギルド(徒弟制度を土台とする親方・職人制度)の支配する世界だ。ここを終了しない限り独立することはできない。その意味で、「大人になる」イニシエーションをテーマとしている。

1年が外の世界の3年にもあたる厳しさの中でクラバートは3年を過ごす。親方は粉ひきだけではなく魔法も教える。それも物語のアクセントとなっている。親しく指導、援助してくれた先輩同僚2人の不可思議な死も起きる。

一年に何度かある休暇のひとつ、復活祭に村で少女たちの合唱隊に出会い、そのソロを歌う少女に深く惹かれる。それは密かな愛に成長していく。その少女の理知的でひたむきな姿に感動する。3年後の大晦日、死をかけた少女の行為によってクラバートは救われる。青年期のイニシエーションの一つ=「愛」である。

376ページの大作だ。読み始めたらどんどん深みにはまっていって、深い感動の読後感をもった。いろいろな感想がいえる。私は、これを読む10代にぜひ語りかけたいのは、「われわれは皆、魔法使いだ」ということである。

親友ユーローに励まされてクラバートは独立への意志表明の訓練を重ねる。つまり、イニシエーションとしての「選択」への自由の獲得である。その時に、少女の力が必要になる。それをはげますユーローの言葉がある。

――「あの娘に魔法が使えると思うかい?」

「おれたちのとはちがう魔法だな」と、ユーローは言った。「苦労して習得しなければならない種類の魔法がある。それが『魔法典』に書いてある魔法だ、記号につぐ記号、呪文につぐ呪文で習得してゆく。それからもうひとつ、心の奥底からはぐくまれる魔法がある。愛する人にたいする心配からうまれる魔法だ。なかなか理解しがたいことだってことはおれにもわかる。――でも、おまえはそれを信頼すべきだよ、クラバート。」――

 ここを読んで、はっと気がついた。私たちは皆魔法使いなのだということ。子どもの「ファンタジー」をそう呼び表すことがあるが、そうではない。大人になるということは、ある魔法を得ることだ。ハリー・ポッターもそのためにホグワーツに通うのだ。学校で学ぶとは、「魔法の力を得る」ためなのだと思うと、楽しいではないか。 私が子どもの頃には、大人は不思議な力を持っていたし、できた。父や兄が土くれから立派な瓦やさらに鬼瓦を生みだしたのは、魔法だった。くりかえし失敗しながら・・・。その魔法によって家族を養い、私を大学までやってくれた。

そう、瀧本哲史氏が『ミライの授業』(講談社)で、「学校とは魔法を学びに行くところだ」と、中学生世代に語りかけている。「学問のほんとうの目標は、未来を変える発明と発見にある」と。すごく魅了ある呼びかけだった。

さて、訳者の「解説」によれば、プロイスラ―はこの作品についてこう話している。

「わたしが『クラバート』で表現しようと試みたものは、ひとりの若者が――当初はただの好奇心から、そしてのちにはこの道を選べば、楽な、けっこうな生活ができるという期待から――邪悪な権力と関係をむすび、そのなかに巻きこまれるが、けっきょく自分自身の意志の力と、ひとりの誠実な友の助力と、ひとりの娘の最後の犠牲を覚悟した愛とによって、落とし穴から自分を救うことに成功するという物語です。」

ヘルベルト・ホルツィングの版画風の挿し絵が不思議の世界に誘っている。とても深く魅力的だ。

 プロイスラ―作、中村浩三訳『クラバート』偕成社1980.5.杉並図書館の本