2月16日(木) 読了! 『アウシュヴィッツの図書係』

 

 やっと読み終えた。途中でやめることはできなかった。16歳の少女、エディタ・アドレロヴァ(ディタ)。本名ディタ・クラウス。強制収容所をたらい回しにされながらも希望を失わず、生き抜いた。現在は(この本の出版された)イスラエルでお元気に過ごされている。アウシュヴィッツでは、家族収容所の中に秘密に設けられた子どもたちのための「学校」で8冊の本と「6冊の生きた本(語り部)」とを管理する図書係をした。本を読むこと、学ぶことが禁止されていた。その中での勇気ある行為だった。

ある女性は不安におびえるディタにこう言う。

「ナチスは私たちから何から何まで取り上げたけど、希望を奪うことはできない。それは私たちのものよ。連合国軍の爆撃の音も前より大きくなってるわ。戦争は永遠に続くわけじゃない。平和が来たときの準備もしなくちゃ。子どもたちはしっかり勉強しておかなければね。だって、廃墟になった国や世界を立て直すのはあなたたち若者なんだから」

 作者はこういう。

「学校を閉鎖したけりゃすればいい、彼は言う。誰かが何かを伝えようとし、子どもたちがそれを聞こうと周りに集まれば、そこが学校になるのだから。」

 作者は巻末でこう述べている。

「アウシュヴィッツ=ビルケナウに秘密の学校を開き、こっそりと図書館を運営するために命を危険にさらす人間がいたということを聞いても、感銘を覚えない人もいるだろう。勇気ある行動ではあるが、絶滅収容所でもっと差し迫った問題があるときに、それは無駄なことだと考える人もいるだろう。本では病気は治らないし、死刑執行人たちを打ち負かす武器として使うこともできない。空腹を満たすことも、喉の渇きをいやすこともできない。それは確かに事実だ。人間が生き残るために必要なのは、文化ではなくパンと水だ。それさえあれば人間は生きていける。しかしただそれだけでは、人間性は失われる。もしも美しいものを見ても感動しないなら、もしも目を閉じて想像力を働かせないなら、もしも疑問や好奇心を持たず、自分がいかに無知であるかに思いが及ばないなら、男にしろ女にしろ、それは人間ではなく、単なる動物にすぎない。」

 そうそう、警告もある。

「戦争は氾濫した川に似ている。いったん溢れた川は、もうもとの流れには戻せない。小さな堤防を築いたくらいでは、濁流にのみ込まれてしまうのだ。」

 これは私たちへの警告だ。

アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳『アウシュヴィッツの図書係』(集英社2016.7)