1月15日(日)晴 置かれたところで咲きなさい

  &『大津波のあとの生きものたち』

 

 生垣の傍らで誰かに摘みとられていたミニ水仙を歌壇に移したら、そこで、残っていたつぼみがあって、きれいに咲きました! 置かれたところで咲きなさいって…。

 保塚図書館で見つけた本。こういうタイトルの場合、きっとすごい災害のあとも生きものたちは強い生命力で繁殖しています!――というのかなと思いました。前半はそうでした。春になると、コアジサシやコチドリがやってくるようになった。卵を産み、子育てをする。ハマナスやウンランが群生する。小さな生き物が姿を現す。トンボが群れ飛ぶ。アカゲラやツグミ、ノスリが飛ぶ。

しかし、「復興」が進められた。

「大きな津波は、人びとが年月をかけてつくってきたものをこわした。動植物はもともとの自然な姿を取りもどしていたが、人間にとっては悲しい光景だった。人間は、こわれる前の便利さを、取りもどそうとしていった。」

「安全な暮らしのためには仕方がない、という声ばかりが大きかったが、あの、大きな津波をくぐりぬけた、たくさんの生きものたちがクラス砂浜を、森を、そして水辺を、未来へと残す知恵は本当になかったのだろうか。」

と、筆者は訴える。「消えた自然はもどらない」のだと。

 美しいたくさんの生きものたちと風景の写真が、我々に提起するものは重い。じっくりと見つめたい。写真・文:永幡嘉之『大津波のあとの生きものたち』(少年写真新聞社2015.2、1,400円)

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 保塚図書館にはかなりの数の大人たちが本や雑誌、新聞を読んで過ごしている。今年になって、年配の女性が数名加わった。この人たちは、子どもコーナーのテーブルで過ごしているようになった。子どものくる時間になっても、スタッフは注意しない。きっと、「子どもが来たらどけばいいんでしょ!」と言い返されるのだろう。子どもたちが友達と調べたり、その図表を作ったりして過ごす、最近では珍しいぐらいの(中学生も)地域図書館だったが、子どもは消えてしまった。「あそこにはおとなが座っている」という口コミが流れたら、子どもは来ないのだ。