5.21庭の萩

 5月21日(土)晴 人権の本⑱異文化理解ということ=『わたしが外人だったころ』

 いい天気。今日、明日は「OKINAWAまつり IN 代々木」です。代々木公園で開かれます。昨年は17万人。今年はどうでしょうね。
 庭の萩が咲きだしました。今咲いて、秋にまた咲きます。一度枯れるのに、年々大きくなるのが不思議。自分の年齢を覚えているのでしょうね。
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 視点を変えてみると、世界は違って見えます。言葉が違えば、また違って見えます。日本人なら皆同じというわけではありませんよね。格差社会は、異なる「日本」を見せています。
 さて、この本の作者、鶴見俊輔氏は若い時、アメリカに行きました。まったく英語のできないままに行きました。
「英語をしゃべれないものは、それだけで、考える力がないものと見なされました。それが当時のアメリカの常識でした。」
 3か月たつと、今度は突然に日本語が消えたそうです。英語の生活に入ったわけです。大学に入って勉強しているときに、太平洋戦争が始まる。そして、日本に帰ってくる。海軍でジャワに行き、病気になって戻ってくる。そういう生活から、自分は何者という問いがいつも生じているという。
「わたしは、アメリカにいた時、外人でした。戦争中の日本にもどると、日本人を外人と感じて毎日すごしました。それでは、日本人のなかで外人として生きていたことになります。今は、わたしは外人ではないのか。自分の底にむかっておりてゆくと、今もわたしは外人です。そこから考えると、この本の題から、わたしは、はみだしています。」
 孫のゆあん(5歳)が保育園で友達から言われたのだろうが、繰り返し「じいじは何人?」と聞いた時期があります。日本人は特に「身内」か「異なる人(外人)」かを決めつける傾向にあります。身内なら安心し、異なる人であれば排除する。
「地球の人口は72億人。日本国民の人口は1億2千万人です。地球上の人間全体の中で、日本人にとっては、外人の方が多い。日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わたしたちは地球上に住みにくくなります。」
 『わたしが外人だったころ 』鶴見俊輔・文、佐々木マキ・絵(福音館1995年発行、2015年たくさんのふしぎ傑作集第一刷)1,300円