今日は午後から家裁めぐりでした…。

1件は相続人の1人が行方不明なゆえに「不在者財産管理人選任申立」に関する件、そしてもう1件は相続人が未成年者なゆえに「特別代理人の選任申立」に関する件…。

それぞれ別々の支部の管轄なもので、ハシゴしていたのですが・・・。

そのうち某裁判所前で…。


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なんとまぁ、報道の方々がわんさと押し掛けている…。
傍聴券の抽選行列の立て看板で、今日は県内で起きた某異常な凶悪事件の容疑者の勾留理由開示請求の法廷があったようです。


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路上には各TV局の中継車がずらり。

容疑者は知的な障害をもっているということですが、こうした者の処罰の問題について、なぜか今日はとても気になったので、久々に頭にカタイ話を。

心神喪失の場合は不処罰、心神耗弱の場合は減刑、いずれも刑法に定められたことがらではありますが、再三にわたって問題が投げかけられているテーマです。

死刑存続の是否なんかもそうですが、犯罪者の刑罰にはさまざまな目的がありまして…
1.目的刑論…犯罪抑止・予防のために存在するという理論
2.応報刑論…悪に対する制裁により、正義を守り国家的代理復讐を実現するという理論
などが論じられています。

この中で目的刑論のひとつに、犯罪者の再犯防止としての隔離効果がよく取り上げられます。
極論、死刑により人間社会からの永久的隔離を行うことで、その犯罪者が凶悪犯罪を再び犯すのを防ぐといった効果なわけです。

さて、今日の法廷に出廷した容疑者のような精神的な障害を持った者が犯罪を犯した場合の不処罰や減刑の問題はどうとらえたらよいのでしょうか。
刑罰を科して、社会から何らかの隔離を行うことが必要だと考える向きもわかります。
ただ、こうした者の中には、そもそも刑罰の意味も理解できず、刑罰を科すことが無意味であるといった事情も考えられます。

こうした問題に私見を述べると批判を受けることになるかもしれませんが、心神喪失者(無責任能力者)については刑罰でなく措置入院等での治療行為で、罪の悪さを教え説諭するということになるのもわかります。
しかし、心神耗弱者(限定責任能力者)にまで減刑を認めるのは、社会正義や応報論として被害者の不満があるのも事実です。
近年の裁判などを見ると、どうもこの心神耗弱の主張で減刑を勝ち取るのが戦術のごとく乱用されているきらいがとても気になります。

今後、この容疑者の措置はどうなるのでしょうか…。

と同時に、29万5千人の裁判員候補者の4割である11万8500人から辞退を希望する回答票が返送されたとのことです。
従来、国民に裁判に参加する「権利」が実質的になかった(…あるとすれば選挙の際の最高裁判所の裁判官の国民審査くらい)のを、参加する「権利」を与えるといってくれているのに、辞退とは…。
個人的に理解できません。
それも、裁判員が押し付けられた「義務」みたいにコメントする方もおられ…。
自らの国の治安や自らの安全を確保するための裁判に参加する権利を行使しないのは、無責任国民性のあらわれなのか…。

ま、今の仕事に刑事に関することは無縁ではありますが、中途半端法学部的な自分として、改めてこうしたことを思い返した今日でした。