すみません。  内容に集中しすぎたため(老化のせいもあるかも💦)
シリーズの番号が、おかしくなっていました。

今晩なおします。

今は 急いで  続きに入ります。
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西洋世界の一神教は 神が全知全能であることを言いながら、 であれば
それが  完全な寛容を意味することを忘れて来た。

全知全能と不寛容は矛盾する。

真逆だ。

この事は いつかもっとじっくり説明したい。

今は急ごう。
一神教の哲学者は多いけれど、哲学者もまた、その点を見逃している。

何故なのだろう。

知恵の木の実(アダムとイブの神話に登場するところの)を食べすぎたからだ。

文明社会、情報社会の 害毒の部分を頭に詰め込みすぎたからだ。

当たり前のことが、当たり前のことの大切さが、

普通の家族の命の大切さが、

世の中のすべてが 苦しみのあってはならなさと
深い幸せを感じる世界があることの、 二つによって
自然な道徳を醸成されるという  

たった二つの当然のことを、学者も哲学者も、心に(頭脳に)見失ってきた。

ただ、ひとつ、心にもうすこし素朴な感性を取り戻そうという一番大事な点に気が付かないできた。

歴史という言葉自体が 言葉という記号の記録の世界の史料により生まれる学問。

いや、学問のすべてが その歴史資料を基に、構成されている。

そのために、 言葉では現わすことのできない感性の深みの世界は
そのまま 歴史の中から取り残されてきてしまったのだろう。

簡単に言えばそのようなことが 長い今までの歴史に起こってしまった
心の部分の悲劇ということなのですが、

さらにここに、あろうことか、宗教が輪をかけてそれを応援する形になってきてしまっていたり、 ことは実際にはかなり複雑だ。

変革には、知恵を必要とする。

深い知性を必要とする。

もちろん、感性の大切さという当たり前のことの大切さに深く気が付いていることが前提だ。

そうでなければ・・・

そのことをこそ物語っている アダムとイブの物語の警告である 毒入りの木の実を 私たち文明人は食べ続けていくこととなり、

戦争はこの世に終わらなくなる。

昨日の続きだ。 → 死は家族を奪えない。 戦争は家族を奪う。

戦争は当たり前の幸せを奪う。 戦争は ほんとの楽園である私たちの普通の幸せ(家族の幸せ)を奪う。

もし、当たり前のことの大切さに気が付いていれば、
私たちの感性は、長い歴史、いやその長い失敗の時間の間にすでに
完成されいた。

これが、 アダムとイブが 楽園から追い出された原因である知恵の木の実の正体だ。

もう お解りだと思います。

「アダムトイブの物語」 ユダヤ人の本当の知恵から生まれた。

だから、ユダヤ人こそ  

ユダヤ人こそ その本当の原点にもどり、

その故郷にたちかえり、 

ユダヤ教だけは、 一神教の最大の真実である 神の寛容の意味について(全知全能イコール完全な寛容)気が付いてほしい。

他のどの宗教より先に、その本当の知性の故郷であるアダムとイブの楽園に 帰郷してほしい。


ガザ地区の ガザ地区の ガザ地区の

家族たちを守ることに
すべてのハンドルと切り替える知性を 今こそ発揮してほしい。

その「あたりまえのこと」の大切さを世界に示してほしい。

知性の民族、イスラエルの本当の英知を示してほしい。

アダムとイブの啓示が、本当はどんな深い英知から生まれた賢者の魂なのかを 世界に教え示してほしい。

世界で最初に、人間の知性が、

戦争を途中で 平和にいきなり切り替えることを可能にすることを
私たちに 今実地に教え示してほしい。

知性の勝利を 本当の知性とは何なのかを、
その寛容さの姿を
世界の歴史に教え示してほしい。

ユダヤ人なら
それが出来るという事を示してほしい。



今日は以上です。


【追伸】

まだ 出勤15分前ですが、洗濯機にぶち込んでおいた^^、洗濯物を干す時間が必要であり💦、

シリーズの番号の手直しは やはり夕方となります(>_<)。


今日の分は、明日の分に、かなり直接なつながりがありますので、
一回限りでも読める形のブログではありつつ、
こちらを読まれた方は、ぜひ、明日の分の文も読まれてください。

よろしくお願いいたします。