もう、遅いですよね。
今さら、何を書いても、もう遅いですよね。
さらに、ここに書いてることを世界に伝えられないなら
書いても意味があるのか?
イスラエルのガザ攻撃は再開されてしまいました。
南部のラファ検問所は、この感じではまだ開かれていないと思います。
ラファ攻撃のニュースも聞きます。
でも、 何とかしようとして努力はし続けた大人たちがいたことを
子供たちに伝えるためにも そして、
もう崩れることの無い平和、恒久平和の精神的土台を
今度こそ、地球に それでも構築してゆくために。
続けます。
今さら遅いとはいえ、 いまからでも、 キリスト者たちは、 キリストが道徳をどのように改善しようとしたのか、最高道徳である愛をさらにどのように深めようとしていたのか、 長い間 見逃してきたその一点に目を向けなおし(これには キリストの語った「野のユリ」の例えを まともに理解しなおすことと、 山上の垂訓の中でキリストが語ったという「性」についての唯一の話に、 途中からの改ざんを認めることが必要)
もう一度言いますが、
その一点に、つまり一番大事な変革点に目を向けて、
ハマスの中の幻想をその地点から 溶かして行く説得を開始してほしい。 ・・・・・(この詳しい説明は明日に)
では、イスラムは。
イスラムの指導者たちがハマスを説得するべきなのは、同然な話なのですが、 その前になぜ ハマスのような思想がその社会から生まれてきてしまったのか? 説得すべき論理が、安定した社会の中で、逆に育っていなかった事も考えられてしまう。
外国語の宗教という言葉の意味合いは、おもに 「神とのつながりの再開」を意味する。
日本では その概念自体が無いため「誰にも共通する普遍的な道理」といった意味合いの「宗教」という言葉に訳したようなのだ。
つまり、英語でreligion呼ばれてる、その言葉は、世界共通語のようになっていて、それは仏教にも使われているのですが、
本来は神という概念なしには成り立たない言葉のはずだと思う。
この辺は学者の方が 詳しいだろう。
しかし、肝心なポイントは ユダヤ教 (一神教の本当の源泉)におけるその「神」の概念とは どのようなものだったのか、という点だ。
今 イスラム教の話を至急進めたいところなので、 この概念については後回しにするが、
そこには 神からの啓示という概念があり、 イスラム教ではモーゼの十戒も キリストの言葉も もちろんモハメッドの教えも、神からの啓示として受け取っている。
大衆にとって解りやすいように、 モハメッドの受けた啓示の話は、長い間の一神教の歴史の中で生まれた伝統の産物でもある「天使」という物語的な概念を使ってその啓示の様相を示している形であるわけですが、
旧約聖書の海が二つに群衆が通れるほどの大きさで割れた話も、ノアの洪水の話も、 キリストが嵐の海を歩いた話などは、 解りやすい物語として 今では多くの信者たちも理解しているのに、
このモハメッドの話は 長い長い間にそれ自体が真実であるかのような印象を、あるいは真実であると信じることがイスラムの信仰であるかのような印象を私たちに与えてしまっていると思う。
神からの啓示とは、それ自体が隠喩だ。
知恵ある人達は、
人間にとって大事な事大事な知恵を 存在の根源(神がこの宇宙にはいないに等しいとしても、私たちの奇跡的命のすべてが 存在している事実の原因自体は存在している。 唯物論者もそれ自体は否定できないし否定する必要は本来は無い)からのメッセージという、強いインプレッションで語った人智の「言葉」として、 多くの科学者や 真に敬虔な一神教徒達は、 つまりまともな哲学する人たちは(深く考える人たちは) 理解している。
なのですが、 成熟した社会形態を生み出したイスラム教の成熟度がむしろ その辺をあいまいにしたままにしているのではと思えてしまうという点が 気にかかるのですが、、、
これが、イスラム社会の中からはハマスの幻想的思想が生まれてしまった原因なのだろうと考えると また、イスラム社会がハマスをせっとくできないでいる因果と考えると、つじつまが合いそうです。
でも今からでも、
今からでも遅くないというのは、当たり前の事でもあるのですが、
今からでも イスラムの優れた指導者たちは ハマスを説得する努力を新たに開始してほしいと思う。 科学者や哲学者たちの奮起をここに期待する。
ではユダヤ今日は、そしてユダヤ人は、 ハマスを説得できるポテンシャルをどのように持っている宗教であり民族なのか(この詳しいことは明後日以後となると思うが)
けれど、 本来こうしたことのすべてを見通せるはずの 英知と知の民族であるユダヤ人こそが なによりも、ほんとうは、今のタカ派の考えの極度の暴走をとめるべく、ハマス説得に 今からでも 今からでも、
立ち上がってほしいのだ。
なによりも、 今ハマス殲滅に命をかけてしまっているユダヤ人こそ
そうではなく、ハマス説得に命を懸けてほしいのだ。
明日、もう一つの巨大な宗教(一神教)それ自体の 足枷(あしかせ)について書く。
それが溶ければ、その謎が解ければ、 許しと一神教の ほんとうの姿が見えてきて 知的な民族ユダヤ人こそその改革者であれることと、
イスラエルがハマスをも許せるという 歴史的快挙の日が この大地に訪れると思う。
是非 明日のブログの この続きも 読まれてください。
(明日に続く)
今さら、何を書いても、もう遅いですよね。
さらに、ここに書いてることを世界に伝えられないなら
書いても意味があるのか?
イスラエルのガザ攻撃は再開されてしまいました。
南部のラファ検問所は、この感じではまだ開かれていないと思います。
ラファ攻撃のニュースも聞きます。
でも、 何とかしようとして努力はし続けた大人たちがいたことを
子供たちに伝えるためにも そして、
もう崩れることの無い平和、恒久平和の精神的土台を
今度こそ、地球に それでも構築してゆくために。
続けます。
今さら遅いとはいえ、 いまからでも、 キリスト者たちは、 キリストが道徳をどのように改善しようとしたのか、最高道徳である愛をさらにどのように深めようとしていたのか、 長い間 見逃してきたその一点に目を向けなおし(これには キリストの語った「野のユリ」の例えを まともに理解しなおすことと、 山上の垂訓の中でキリストが語ったという「性」についての唯一の話に、 途中からの改ざんを認めることが必要)
もう一度言いますが、
その一点に、つまり一番大事な変革点に目を向けて、
ハマスの中の幻想をその地点から 溶かして行く説得を開始してほしい。 ・・・・・(この詳しい説明は明日に)
では、イスラムは。
イスラムの指導者たちがハマスを説得するべきなのは、同然な話なのですが、 その前になぜ ハマスのような思想がその社会から生まれてきてしまったのか? 説得すべき論理が、安定した社会の中で、逆に育っていなかった事も考えられてしまう。
外国語の宗教という言葉の意味合いは、おもに 「神とのつながりの再開」を意味する。
日本では その概念自体が無いため「誰にも共通する普遍的な道理」といった意味合いの「宗教」という言葉に訳したようなのだ。
つまり、英語でreligion呼ばれてる、その言葉は、世界共通語のようになっていて、それは仏教にも使われているのですが、
本来は神という概念なしには成り立たない言葉のはずだと思う。
この辺は学者の方が 詳しいだろう。
しかし、肝心なポイントは ユダヤ教 (一神教の本当の源泉)におけるその「神」の概念とは どのようなものだったのか、という点だ。
今 イスラム教の話を至急進めたいところなので、 この概念については後回しにするが、
そこには 神からの啓示という概念があり、 イスラム教ではモーゼの十戒も キリストの言葉も もちろんモハメッドの教えも、神からの啓示として受け取っている。
大衆にとって解りやすいように、 モハメッドの受けた啓示の話は、長い間の一神教の歴史の中で生まれた伝統の産物でもある「天使」という物語的な概念を使ってその啓示の様相を示している形であるわけですが、
旧約聖書の海が二つに群衆が通れるほどの大きさで割れた話も、ノアの洪水の話も、 キリストが嵐の海を歩いた話などは、 解りやすい物語として 今では多くの信者たちも理解しているのに、
このモハメッドの話は 長い長い間にそれ自体が真実であるかのような印象を、あるいは真実であると信じることがイスラムの信仰であるかのような印象を私たちに与えてしまっていると思う。
神からの啓示とは、それ自体が隠喩だ。
知恵ある人達は、
人間にとって大事な事大事な知恵を 存在の根源(神がこの宇宙にはいないに等しいとしても、私たちの奇跡的命のすべてが 存在している事実の原因自体は存在している。 唯物論者もそれ自体は否定できないし否定する必要は本来は無い)からのメッセージという、強いインプレッションで語った人智の「言葉」として、 多くの科学者や 真に敬虔な一神教徒達は、 つまりまともな哲学する人たちは(深く考える人たちは) 理解している。
なのですが、 成熟した社会形態を生み出したイスラム教の成熟度がむしろ その辺をあいまいにしたままにしているのではと思えてしまうという点が 気にかかるのですが、、、
これが、イスラム社会の中からはハマスの幻想的思想が生まれてしまった原因なのだろうと考えると また、イスラム社会がハマスをせっとくできないでいる因果と考えると、つじつまが合いそうです。
でも今からでも、
今からでも遅くないというのは、当たり前の事でもあるのですが、
今からでも イスラムの優れた指導者たちは ハマスを説得する努力を新たに開始してほしいと思う。 科学者や哲学者たちの奮起をここに期待する。
ではユダヤ今日は、そしてユダヤ人は、 ハマスを説得できるポテンシャルをどのように持っている宗教であり民族なのか(この詳しいことは明後日以後となると思うが)
けれど、 本来こうしたことのすべてを見通せるはずの 英知と知の民族であるユダヤ人こそが なによりも、ほんとうは、今のタカ派の考えの極度の暴走をとめるべく、ハマス説得に 今からでも 今からでも、
立ち上がってほしいのだ。
なによりも、 今ハマス殲滅に命をかけてしまっているユダヤ人こそ
そうではなく、ハマス説得に命を懸けてほしいのだ。
明日、もう一つの巨大な宗教(一神教)それ自体の 足枷(あしかせ)について書く。
それが溶ければ、その謎が解ければ、 許しと一神教の ほんとうの姿が見えてきて 知的な民族ユダヤ人こそその改革者であれることと、
イスラエルがハマスをも許せるという 歴史的快挙の日が この大地に訪れると思う。
是非 明日のブログの この続きも 読まれてください。
(明日に続く)